Canadian Social Work についての講義をやってみた感想
学生さんにカナダのソーシャルワークについての話をしてみたい!と日本に来て以来ずっと願っていたのですが、ついにその機会が到来。コロナ禍が本格化する2月になるまで、大学5校から「カナダでの医療ソーシャルワークの現状」というテーマで講義を依頼されました(ただし1話完結で・・・ってテレビドラマか!?)。結局、社会福祉学部の学生さんと4回、大学院生さんと1回講義をしました。当初の予定では「さ〜この調子でどんどん自分を売り込んで、もっと講義をしてやるぞ!」とやる気満々で、実際いくつかの講義・講演をする予定も入っていたのですが、いやはや世の中なにが起こるのか分かったもんじゃありません。はい、皆さんお分かりですね!ご存知コロナ禍のせいで全てオジャンになってしまったのです(涙)。ま〜でもしょうがないですよね、みんな大変な思いをしているのは同じなんだし。いやいや、私なんて無給休暇中の身、講義なんて趣味みたいなものなんで、それがキャンセルになったって苦労の範疇にも入らないのだから、うだうだ言ってもしょうがありません。それでもせっかく学生さんとの講義にも慣れ、楽しくなってきたとこだったので予定が狂ってやっぱりガッカリしちゃいました。
さて肝心の講義はどうだったかって?
一言で言うと・・・詰め込みすぎた〜!前回のブログで話した内容で90分講義をしたのですが、全然時間が足りね〜。結局、ケーススタディーの数を減らしたり、時間延長させて貰ったり(早く帰りたいだろうに・・・学生さんゴメン!)、希望者に居残って貰ったりと、時間配分がちゃんと出来てない典型的なダメダメプレゼンテーションになってしまいました。だいたいシンペーは自分の経歴を話しすぎなんだよ!っと自分でツッこんでみます・・・って言うか、きっとそう学生達は思っていた事でしょう。ゴメンね年寄りの自慢話ばかりして(笑)。私が大学生の頃「このジジイよく喋るな〜」と延々とつまらない講義をする教授を見ては思ったものなのですが、いや〜ジジイの気持ち今なら分かりますよ。年を取ると、話したい事が増えるって言うか、話していて注目される自分に酔ってしまうって言うか、とにかく聞くよりも聞いて欲しくなっちゃうんですよね〜(笑)。これってポジティブに言えば自分に自信がついた証なんでしょうけど、悪く言えば面の皮が厚くなって他者への配慮が欠けてしまってるって事ですよね。反省です。しかし、そういう意味で言うと、日本の大学生はちょっと自信がないのかシャイなのか、とても大人しくてオジサン(ジジイ!?)としてはやや心配になってしまいます。
講義では学生さん達にも積極参加してもらおうと、私の経験を基に作ったケーススタディーを使ってディスカッションをしようと思ったのですが、これがなかなか難しい。
「ではこのケースのFさんの場合、医療ソーシャルワーカーとして何が出来るでしょうか?」
なんて風に聞いてみても、誰も意見を言いたがりません。あら?このケースはちょっと学生には難しかったかな〜、と選んだケースが悪かったかな?と思ったのですが、強引に(ゴメンね)学生さんを指名して答えさせると、なんとも立派な答えが出てくるではないですか。例えば、私が使ったケースにこんなのがありました(ブログでも前に書いたけど):
“楽しい週末を過ごし、出勤した月曜の朝。患者さんFさんからの留守番電話が入っていました。「おい!あんた!ち、チンペー!いやチンパンジーだったわね。チンパンジーっていう名前のソーシャルワーカーのあんたにメッセージだよ。あんたなんて最低で役立たずなクソ野郎だからもうクビだよ。それから地獄にも3回落ちるからな、よろしく!」という過激なメッセージがご丁寧に2回も入っていました。先週、Fさんからの度を超えた要求をソーシャルワーカーが断った事に怒っていた様子のFさん。やっぱり根に持っていたか・・・。
問題:は〜月曜日から鬱陶しい・・・さて、あなたならどうする(プロのソーシャルワーカーとして)?”
え!?ケースの書き方が不謹慎だって?まあまあ、それは私の心の声を基に書いたからこうなっちゃんたんですよ、許してね。それは置いといて、このケースに対し学生達はこんな風に答えてくれました:
「まずFさんには間違った印象を与えてしまった事を謝罪し、どのようにFさんの為にお役に立てるのかを一緒に話し合います」
「同僚と一緒にFさんに謝りに行き、Fさんの同意を得て同僚に引き継いでもらいます。そうすればFさんも気まずくなくソーシャルワーカーに助けを求める事ができるから」
「Fさんにどうして先週Fさんの要求に応える事が出来なかったのかを説明して分かってもらい、関係の再構築に努める」
などなど、学生達からはFさんとの関係修復を(Fさんのニーズを満たす為に)第一に考える意見が出たのですが、ちゃんとFさんを傷つけないような繊細かつ柔かいアプローチを提案する学生達に私は目から鱗が落ちました。そうだよな〜、確かにこっちが折れる(ように見せる)事で、逆に向こうも心を開いて、結果的にはソーシャルワーカーとしてFさんのニーズを効率的(=無駄な争いをする時間とエネルギーを費やさず)に満たすお手伝いができるもんね〜、と私は大変感心しました。私が学生の時には、こんな風に深く「心配りができた」解決案はとても思いつかなかったな〜。多分当時の私だったら「Fさんには精神科の先生に診てもらうように勧める」なんて真逆の案を出してFさん逆ギレさせちゃいそう(笑)。そう思うと、今の学生というか、日本の学生ってすごく真面目に、そして物事を深く考えているんじゃないかと思います。そんなせっかく良い意見を持ってるんだから、もっと積極的にシェアして欲しい〜!いや〜本当にもったいないと思ってしまいます。だってこういう良い意見こそお互いシェアする事で学びももっともっと深くなって、それにお互いの意見を認める事で、自分の意見に対しても自信がつくのにな・・・とオジサンは思わずにはいられません。
え?で、↑のケース、シンペーはどう対処したのかって?
あははは、それ聞く?
シンペーは:
「Fさん、メッセージちゃんと聞かせて頂きましたよ〜(嫌味)。その件でお話があるんですが、人種差別的な発言及び態度はうちの病院の規則により禁止されております(断言)。よって今後このような発言を繰り返される場合には、ソーシャルワークのサービスを提供する事が出来なくなりますのでご了承ください(威圧)。こちらに規定書をご用意いたしましたので、ご一覧ください。何かご質問ありますか?(聞く気ないけどね)」
って感じで対応しましたが、それが何か?
いやいや、これには私なりの意図があったんですよ。まず第一に、人種差別はカナダでは違法です。このチンパンジーと言うのはアジア人に対する蔑称でもあるので、ここは妥協してはいけないラインと判断し、Fさんの為にもきちんと「ダメなものはダメ!」を教える事にしたんです。第二に、医療従事者だって尊厳を持って働く必要があります。その為にもFさんには「ダメなものはダメ!」、きちんとした境界をわかってもらう必要があるのです。そして最後に・・・月曜朝から腹立たしくて私も余裕が無かったんですよ!(これが一番原因か!?)。ま〜ソーシャルワーカーって言っても人ですから、ボロクソに言われたら凹むか怒りますよね。だからしょうがないんです。
ケーススタディーの質問には「プロのソーシャルワーカーとして」と書いてあるのに、実際のソーシャルワーカーは公私混同だったって言うお話(ケース)でした(笑)。
ま〜とにかくこんな風に学生とケーススタディーをやって分かった事は、日本の社会福祉学部生はすごく真面目に、深く細やかに物事を考えているらしいという事。でもやっぱりまだ自信がないのか、とても良い意見・考えをそれぞれが持っているのに、それを表に出す事を戸惑ってしまうと言う事。でも考えてみれば、私だって学生の時はあまり積極的に意見は言わなかった気がします。え?うん、ま〜確かに言えるほどの意見が無かったっていう悲しい事実もあったのですが、それでもやっぱり自信がなかったり、恥ずかしかったりして、なかなか発言する勇気はなかったな〜。ところがカナダの大学ではソーシャルワーク学部の学生はうるさいくらいに発言して、良くも悪くも熱いんです。社会の不平等や社会問題に対する熱意が半端なく、何かにつけてすぐにディスカッションしてましたよ。そんな中にいるうちに、私もだんだん触発されて、少しずつ意見を言うようになり、気がつけば皆んなと同じように大した意見でなくても声高いに発言する、できるようになったのです。今から思うと、これはソーシャルワーカーとしてとても大事なスキルの一つだと思います。と言うのも、ソーシャルワーカーの大切な役割の一つに「Advocacy」があるからです。日本語ではアドボカシー・擁護なんて言われていますが、つまりは患者さん・クライアントの代弁者となって、彼ら彼女らの権利を世の中に訴える事。社会的弱者の患者さん・クライアントの多くは声を上げる術がありません。声を上げられなければ、彼ら彼女らの権利・問題も世の中から抹殺されてしまうこともあり得ます。それを防ぐ為、声を上げる術を持っている、見つけられる、機会を作れるソーシャルワーカーが代弁者となって世に訴えることこそ、実はソーシャルワーカーに課せられた仕事の中でも最も重要なものなのではないかと私は思うのです。そう考えると「意見を言う」こと自体がソーシャルワーカーにとっては重要なスキルなのです。
そんな風に思うと、やはり日本の学生さん達にはもう少し積極的に自己の意見が言えるようになって欲しいな、もっと元気に積極的になって欲しいな、と乳母心丸出しのオジサンは思うのでした。とくに、せっかく良い意見を思っている優れた学生さん達なのだから、尚更自信を持って積極的にシェアして欲しい、そう思わずにはいられません。
講義でも話したのですが、ソーシャルワークという仕事は心身ともに元気でないと務まらない仕事です。「溺れてる人を助けるには、まずは自己の安全を確立しなければならない」と言う例を使うのが私は好きなのですが、でも本当にその通りだと思うのです。だって自分自身が溺れそうなのに、さらに溺れそうな人を助けようと思ったって、結局は2人とも溺れてしまうだけです。それじゃ人を助けられないどころか、自分まで沈んでしまって、誰得なんでしょう?そして実際、患者さんにとっては、元気なソーシャルワーカーの方が役に立つのです。
そんな訳で、講義をやってみて、私は繊細で少し元気がなさそうな学生さん達が心配になったのですが、それでも彼ら・彼女らの知識や知性、そして患者さん・クライアントに対する思慮深さには大変感銘を受けました。ぜひ、彼ら・彼女らの今後の成功を祈らずにはいられません。一緒に長くソーシャルワークをしていこうね!と年中「辞めてやる!」と叫ぶ私が一丁前に言ってみました(笑)
講義に参加してくれた学生さん、どうもありがとう。お陰様で、私も心機一転できそうな気持ちになれました。
おわり・・・と思ってたら、つい最近、ついにズーム講義の依頼が舞い込んで来ました〜!それは次回で。
つづく
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