カナダにおけるソーシャルワーカーの恥ずべき歴史

先週ショッキングで悲しいニュースがありました。BC州の田舎町Kamloops(カムループス)の旧寄宿舎学校跡地で、子供215人の遺骨が発見されました。遺骨は敷地内に埋められていて、掘り出した遺骨を調査したところ3歳の子供の骨もあったとか。カナダの黒歴史が再び顔を出した瞬間でした。


カナダにはヨーロッパ人が16世紀ごろに入植し始める以前から先住民族の人達が数千年に渡って暮らしていました。最初に住んでいた人々と言うことでカナダでは先住民族の方達を敬意を持ってFirst Nationsと呼んでいます。しかしヨーロッパ人が入植して以来今日に至るまでFirst Nationsは苦難の連続でした。ヨーロッパ人が入植し始めた当初は、貿易などで良好な関係を保っていたのですが、そのうちに土地や資源を巡っての争いが起きるようになり多くのFirst Nationsの人達が虐殺されました。それ以上に過酷だったのは、ヨーロッパからもたらされた疫病です。持ち込まれた疫病への免疫を持っていないFirst Nationsの人達は次々と病気に倒れていきました。特にカナダではヨーロッパからの入植が始まった東側でこのような悲劇が多く起きました。19世紀、1876年にはIndian Act(インディアン法)が制定され、先住民族(First Nations)の管理が強化されます。これはIndian Reserveと呼ばれる居住地の設定、植民地化、そして同化政策へと繋がっていきます。つまり、このインディアン法に則って、カナダ政府はFirst Nationsを特定の(不毛な)土地に居住させ管理することにしたのです。


そんなFirst Nationsの同化政策にカナダのソーシャルワーカーも深く関わっていきます。First Nationsから文化と言語を奪い、カナダ社会に溶けこますために、First Nationsの子供たちは積極的に白人家庭に養子に出されたり、もしくはResidential Schoolと呼ばれるキリスト教が運営する寄宿舎学校へ強制的に送られたのですが、その実行のため、当時のソーシャルワーカー達が積極的にFirst Nationsのコミュニティーに出向いては半強制的に子供達を親元から引き離し、養子もしくは寄宿舎学校へと送り込んだのです。


ほとんどの寄宿舎学校はFirst Nationsのコミュニティーから離れたところに作られました。これは子供達が逃げ出してもコミュニティーに戻れないようにするためです。教会が運営する閉鎖的な環境下で子供達への虐待が蔓延していきます。教師、牧師、修道女から多くの子供達が精神的、肉体的、そして性的虐待を受けました。寄宿舎学校制度は1880年代から始まり1996に最後の寄宿舎学校が閉鎖されたのですが、その間約15万人以上のFirst Nationsの子供達が学校に送られたと言われています。またその中で公的にされているだけでも6000人以上の子供達がなんらかの理由で在学中に亡くなったとされています(でも、今回の事件のように公にされてない遺体・遺骨が発見された事で、死者はもっと多いのではないかと疑われている)。


そんな寄宿舎学校から生き延びた子供達の将来もまた悲劇的なものとなります。寄宿舎学校での同化教育のせいで言語と文化を失った子供達は、寄宿舎学校を卒業しFirst Nationsのコミュニティーに戻っても親とも、親戚とも、誰とも会話することが出来ず孤立してしまいます。また虐待によって生じた深い心の傷がPTSDとなり、アルコールや薬物への依存、自傷や他傷行為、DV、若年妊娠、児童虐待など様々な形でFirst Nationsの人達を苦しめるようになっていきます。またこのような数々の問題を抱えたFirst Nationsの人達は、カナダ社会からはますます差別を受け、負った傷がますます深く切り刻まれては問題が深刻化していく・・・という負の連鎖に現在でも多くのFirst Nationsの人達が陥っています。


このFirst Nationsへの抑圧の歴史はカナダでもあまり語られることがなく、詳しく知らない人も多いんじゃないかと思います。ま〜どこの国にも黒歴史はあり、大抵そういう歴史は大ぴらには語られないし、むしろ隠されてしまうってのが常なのですが、私もカナダでソーシャルワークを学ぶまではFirst Nationsのこと全然知りませんでした。そんな私が今でも思い出すのは、First Nationsに関する授業でゲストスピーカーとしてやってきたお爺さんの話です。彼も寄宿舎学校に入れられてしまったFirst Nationsの1人で、在学中さまざまな虐待を受けたり、また他の子が虐待を受けているのを目の当たりにして辛かった思い出を私達学生相手に話してくださったのですが、それでも話せないような辛いこともいっぱいあったと涙ながらに語る姿を見て、とても心が痛くなりました。そして最後にお爺さんは、ソーシャルワーカーがかつてFirst Nationsの人達にどのような酷いことを行ったのかということを忘れずに、この過去を肝に銘じてFirst Nationsの人達のために働いて欲しいと訴えました。


いや〜私その時、頭をガツンと殴られたような気になりました。だってそれまではソーシャルワーカーって人を助ける崇高な仕事だな〜って憧れてて、それで自分もそうなろうと一生懸命勉強もしていた訳だったのに、よりによってそのソーシャルワーカーが人を助けるどころか、抑圧の一端を担っていたなんて・・・と、とても悲しくなりました。それでも人によっては「それはもう過去のこと。この過去の誤ちを心に刻んで、これから頑張ろうよ!」と言う人もいるのですが、ソーシャルワーカーをする身としては、そう単純に割り切れないのがこのカナダの黒歴史の闇の深いところ。


ソーシャルワーカーをカナダでしていると、多くのFirst Nationsの患者さん、クライアントと働くことになります。それは彼ら彼女らのソーシャルワーカーへのニーズが大きいからです。言い換えれば、それだけ多く複雑な社会問題を彼ら彼女らが抱えていると言うことなのです。児童虐待、DV、若年層の薬物依存、妊娠、暴力、自殺なんかは特にFirst Nationsのコミュニティーでは深刻で、児童福祉課にはFirst Nations専門チームがあるほどです。また病院内にもFirst Nations専用のコンサルティングチームがあります。カナダのFirst Nationsへの抑圧の歴史を知らない人達は「どうして彼らはいっつもこんなに問題ばかり抱えてるんだ?」と非難することも度々なのですが、この抑圧の歴史に直接関わってきたソーシャルワーカーの1人としては、とてもそんな事は言えません。むしろ、過去のソーシャルワーカーの行いが今もって尾を引いている・・・と言うのが現状です。寄宿舎学校で虐待を受けたFirst Nationsの人達が、PTSDが癒されることもなく、今度は彼ら彼女らの子供達に暴力の連鎖を引き起こしてしまう・・・そうして疲弊したコミュニティーに将来を見出せず、自傷行為に走るFirst Nationsの若者。カナダ社会の彼ら彼女らに対する偏見・差別は未だ根強く、解決の糸口さえ見つからない状況。「First Nationsの傷が癒えるには7世代かかる」と言われるほど、本当に深刻なダメージにFirst Nationsの人々は今も苦しんでいるのです。


そんなカナダで恥ずべきソーシャルワーカーの歴史を、今回の事件を通して再び考えさせられたのですが、特に私が怖いなって思うのは「人を助けたい!」って言う信念です。きっと当時のソーシャルワーカー達だって、人を助けたいと思って働いていたはずだし、その信念を基にFirst Nationsのコミュニティーに出向いては子供達を親元から強制的に引き離していたと思うのです。多分「この子達にちゃんとした英語教育を受けさせて、文明的な生活様式を学ばせて、カナダの一般社会でも成功できるようにしてあげなくちゃ!」なんて思いでもあったのでしょう。でも結果的には大惨事になったわけです。なぜなら、そこには「他者が何を求めているのか?」よりも「自分から見て他者に何が必要なのか?」に重点を置いてしまったから。つまり自分が信じる「助け」をFirst Nationsに施した結果、実はその「助け」が毒だったことには気がつかず、猪突猛進的に「助け」続けた結果、First Natioonsに取り返しのつかない大きなダメージをソーシャルワーカーが与えてしまったって事なのでした。


そう考えると「人を助ける」って怖いなって思います。そもそも個人的に私はHelp(助ける)って言葉は好きじゃありません。それはHelpってなんとなく助ける側が主体な気がして、助ける方と助けられる方に力の優越関係がある気がしてしまうからです。おまけにその所為でなんとなく独りよがりな感じもするし。それよりも私が好んで使うのはAssistとかSupportとかって言葉。それは主体は自分ではなく、あくまでも自分ではない主体者に沿って援助するってのをアシストとかサポートって言葉からは感じられるからです。ま〜言葉なんて所詮主観だから、あくまでも私個人のイメージなんですけどね。それでもやっぱり「私は困った人を助けてあげたい、救ってあげたい!」とか、「私の使命は人を助けることです!」とか、「私は人を助けることでエネルギーが湧きます!」とかって燃えている人を見ると、私は勝手に心配になり、そして怖くもなるのです。カナダの恥ずべきソーシャルワーカーの歴史が繰り返されるんじゃないかと思って・・・。


って言いながら、実はかつて私もその1人でした。そして今も、ついうっかりすると「あ〜あの人、こうすれば絶対あの問題解決するのにな〜」とか、「なんであの人、あれが出来ないかな?あれすれば絶対楽になるのにな」とか、「どうやってあの人にあれをしてもらうよう働きかけようか。あれすれば絶対上手くいくはずなのにな」なんて患者さんに思ってしまうことも度々あります。でもこの「絶対〇〇するのに」って実は超危険な考えです。その「絶対」はあくまでも私の主観であり、それが患者さんクライアントにとっての絶対ではないのです。そう言う意味ではやっぱりソーシャルワーカーのように他者のニーズを援助する仕事って怖いなって思ってしまいます。いかに自分の主観を押し付けず、相手の望むサポートを相手が望む結果が出るように行うか・・・いや〜なかなか難しいですよ。それでもこれからも私は自分の正義が絶対だと思って他者に振りかざさないように気をつけたいと、今回、この事件からソーシャルワーカーの黒歴史を改めて振り返って思うのでした。

長いブログ読んでくれてありがとう!

(亡くなった子供達の冥福を祈って・・・)





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