私が海外に出ようと思ったきっかけの話


先日イギリス&スペイン旅行から帰ってきて、久しぶりに海外を楽しんできたのですが、よく考えてみたら、この海外って表現なんだか私にはしっくりこないのです。そもそも私にとって海外ってどこ?私が住んでいるカナダって私にとって海外なのか?なんて事を自問してしまうのです。気が付けばカナダ生活もほぼ20年。恐ろしいことにもう人生の半分を海外で過ごしていたことになります。ハッキリ言って、今やカナダの生活もすっかり日常的となってしまい、特別「海外にいる!」って気分でもなく、むしろ最近では日本のほうが刺激的に感じる今日この頃。まるでカナダが家で、日本が海外、みたく逆転現象まで起きています。では、そもそも私が海外に出たいなぁ~と思ったきっかけはなんなのか・・・年とともに忘れてしまいそうな気がするので、この機会にここに記してみようと思います。もしかしたら、皆さんの中にもどうして私がカナダに来たのか興味ある人もいるかもしれませんし。



私が初めて海外に住んだ経験をしたのは、高校一年生の夏休みに行ったサンフランシスコでの一ヶ月のホームステイでした。当時、「夢のアメリカに行きたい!!!」と思っていたわけではなく、どちらかと言えば「この現状から逃げ出したい!!!」という思いが先に立ってのホームステイでした。



その頃の私は、高校生活に著しく幻滅して、ミニ挫折(当時は大挫折だと思っていたけどね)を味わっていた時期。第一志望でない高校に入ったが為の自信喪失、過度な高校生活への期待を裏切られたが為の失望感、思春期特有のホルモン異常(?)による慢性的なイラつき、人付き合いはうざったいと思いながら孤独にはなりたくないという複雑な人間関係&精神状況・・・などなど、多分ほとんどの高校生が体験するであろうことに、私もストレスを感じ、自暴自棄になっていたのでした。勉強もやる気がなくなって、学年360人中358番などというオメデタイ成績を取っていたのもこの時期でした。学校には行きたくないけど、学校を辞める勇気もなく、ただ渋々淡々と学校に通う毎日。このままだと心が腐ってしまいそうだと思った時に友人から薦められた「アメリカホームステイ計画」。この友人はアメリカ音楽に興味があってアメリカに行きたいという強い希望があったのですが、彼の過保護なご両親が息子1人アメリカに送るのは心配なので、誰かと一緒に行くのなら許可するという条件をつけたのです。そしてその白羽の矢が立ったのが私なのでした。



とにかく高校一年の夏が、私にとって最も高校生活に幻滅していて辛かった時期だったので、私は二つ返事で友人の誘いにOKしました。とにかくこの高校から遠いところに行けるんだったらどこでもいい!ってな気持ちだったんだと思います。当然この計画については、私の親にも相談しなければなりませんでした。決して安くは無いこのホームステイ計画でしたが、恐らく私の過保護な親も、自暴自棄で目が死んだような私を心配していたのでしょう。おまけに当時は、ほとんど親とは口も利かない典型的な「思春期少年」だったので、久しぶりの私からのお願いに「親馬鹿ぶり」が触発されたのかもしれません。結局、自分でも驚くほど親もすんなりOKをだし、そうして友人と2人サンフランシスコへと旅立ったのでした。



しかし、そもそもアメリカに興味があったわけでもなく、現実逃避だけを目的に飛び出した私だったので、サンフランシスコ国際空港に着いて初めて「あ、ここって英語しか通じないんだった・・・」って気が付く始末。とにかく何の準備もしていなかったのです。こんな調子なので、ホストファミリーとの会話には初日から困る始末。ホスト母の「晩ごはんは何が食べたいの?」も聞き取れず、No!と言ってしまって晩ごはん無しになってしまうくらい英語は得意じゃなかったし、おまけに高校の成績は358番台。使える単語と言えばYES, No, I want, I don’t wantだけ。今から思えば何て無謀な試みで、一体何しに行ったんだ!ってな感じなのですが、若くて馬鹿であるという事はとっても素晴らしいのです。そのお陰で、今の私なら絶対あり得ないくらい、その時の私は怖いもの知らずでした。人は怖いもの知らずになると、何でもやらかします。リスクもある分、自分の限界を超えるチャンスでもあるのです。



ホームステイの1ヶ月は、毎日が楽しかったと言う思い出しかありません。ホストファミリーと言葉が通じず身振り手振りで会話することも、甘いだけの味気ない食事も、行き先も分からずホストファミリーにあちこち連れ回されるのも、なんでも楽しいという状態でした。それは、そこで体験するすべてが異質で刺激的だったからだと思います。また自分が生まれ育った所から遥か遠く離れて、誰も自分のことを知っている人のいない場所で、すごく自由になった気持ち、今まで感じたことのない“のびのび”した気持ちを味わったのも大きかったと思います。小中高と狭い地域の規律・規則に固められた学校生活という枠組みしか知らなかった当時の私には、↑のような感覚は新鮮で、英語で言うEye Openingな経験だったのです。でも、改めて考えてみれば、それはアメリカに行ったからと言うよりも、自分の知らない世界に飛び込んだことの方が大きな理由だったように思えます。つまり、それはアメリカでなくても、それが例え、オーストラリアでも、台湾でも、ハワイ(あ、アメリカか・・・)でも、同じような経験をしたのではないかと思えるのです。



そして上記のホームステイの経験を基に分析すると、「私が海外に行くのが好きな2つの理由」を見出すことが出来ます。さてなんでしょう?笑


それは「自由」と「刺激」です。


ホームステイでの経験はその後の自分を大きく変えました。惨めな高校生活だけが自分の世界だと思っていたけれど、実はもっと広く自由で刺激的な世界が外にもあるんだ!という当たり前のことが分かったからです。それからは、とにかく自分のいる場所から外の世界を求めるようになりました。県外の大学に行ったのも、大学で交換留学に参加したのも、そして日本の大学を辞めてカナダの大学に移籍したのも、そして移民したのも、すべて自由と刺激のある外の世界に行きたかったからです。そうして20年が経ち・・・カナダはすっかり自分にとって内の世界へとなってしまったのでした。もちろん私もそれなりに年をとり、高校生の時ほど自由や刺激を渇望しているとは思いませんが、それでも私の自由と刺激を求める血はまだまだグツグツと煮えたぐっているのです。そんな訳で、私が最近日本に戻って暮らしてみたいと思うのは、今や日本こそ自分にとって外の世界になりつつあるからなのかもしれません。さらに、再び国際協力の仕事をしてみたいという欲求を持ち始めたのも、医療ソーシャルワーカーという仕事が自分にとって内の世界になってきたからかもしれません。



もちろん、いつもいつも外の世界を求めていたら、いずれ根無し草のように永遠にフラフラしてしまう恐れもあります。いえ、きっとこんな私でさえも、いずれは内の世界に定住の地を求めたくなるはずです(だと思いたい)。でも、今はまだまだ自由と刺激を求める私の血がざわざわと騒ぐのです。ということで、私の海外旅行癖と、転職癖、海外移住癖は・・・しばらく治らないかもしれませんね。今のところは、「外に行かせろぉ~!」と騒ぐ血をなんとか海外旅行だけで落ち着かせていますけど(汗)



ちなみに三月は日本に二週間遊びに行く予定を立てています。もちろんこれも私にとって今や立派な海外旅行なんです!(笑)

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