医療通訳と私の英語力(?)
「モザイク国家」と呼ばれることも多いカナダなのですが、実際カナダには200を超える民族が住んでいると言われています。そんな多文化社会において、医療現場でも様々な文化的背景を持っている職員、そして患者さん達と働く事になります。カナダの公用語は英語とフランス語なのですが、両言語を話せるカナダ人って実はあんまりいないんだよな〜。ちなみに私も英語しか話せません(汗)。また患者さんによっては英語もフランス語も話せない人も結構います。例えば、移民・難民してきたばかりの患者さんとか、家族に呼ばれて他国からやってきた高齢の患者さんなんかは英語が全く話せない人が多いです。また日常会話のような基本的な英語は話せても、医療に関する話をするほど英語力に自信がないとおっしゃる患者さんなんかはかなりの数いらっしゃいます。そういう時に大活躍するのが医療通訳と言われる通訳者です。
「英語が話せない患者さんの通訳だったら家族に頼めばいいんじゃない?」な〜んてお気楽(?)に考える職員もいるのですが、いやいや、そんな簡単なもんじゃないんだよ!って事を私も医療ソーシャルワーカーをやりながら日々実感させられています。むしろ家族には通訳させない方がいいんじゃないか?と思ってしまうくらい実は問題三昧な家族通訳。まず第一に「本当に分かってるのか?」という問題。というのも、家族が英語が話せるからと言って、その家族が医療知識もあるとは限らず、その家族が通訳している内容に不安を感じることも多々あります。病院で働いている私だって、英語の医療用語をそのまんま日本語に訳せ!と言われたら・・・むむむ・・・無理でしょ!そんな事はそうそう容易ではないし、医療辞書なしでは絶対通訳などやれる自信はありません。また通訳する前に、そもそも通訳する医療用語の意味を知っていなければ完全な説明など不可能です。そういう医療通訳が出来る家族がそうそういるとも思えません・・・(ま〜そんな事が出来るハイスペックな一家もあるんだろうから決めつけてはいけないけどね)
さらに家族通訳には第二の問題があります。それは「あの・・・情報操作してませんか?」という問題。これが多分、私が家族に通訳を頼まない一番の理由かも。どういうことかというと、通訳をする家族が伝えるべき医療情報を切り取ったり、歪曲してたりして患者さんにお知らせしてしまうのです。これは治療の選択とか、重篤な病状とか、死とかに関わる話の場合によく起きます。家族としては病気の肉親を悲しませたくない、励ましたい、希望を与えたいという思いからなのでしょうが、「あなたの余命は3ヶ月です」の部分がすっ飛ばされたり、「治療を続けますか?それとも辞めますか?」の質問が「治療は続けて頑張りましょう!」に変換されてたり、また患者さんへの「この治療は効果がさほどなく副作用の方が強くなるのですが、それでもこの治療を受けますか?それとも治療はやめて緩和ケアに移行しましょうか?」という質問に、通訳をしている家族が「治療を選択します!」と即決したり(患者さんに通訳して聞いてないでしょ!)・・・医療従事者から見ると問題満載です。
ただ医療ソーシャルワーカーの私としては、家族が「死」の話を回避して、少しでも病気の肉親が希望を持てるように通訳(というか意訳?)したくなる気持ちもよく分かります。また文化的に「死」に関わる話が出来ない!と言うこともあると思います。そう思うと、家族に医療通訳させるのは、時と場合によっては過酷な事を強いているとも言えます。そういう事情からしても、やはり家族に通訳をさせるというのは、あまり良い事ではないように私には思えるのです。
じゃーどうするか?と言うと、前述した医療通訳者を我々カナダの医療従事者は使っています。例えば、BC州にはProvincial Language Service(BC州言語サービス)という公的団体があって、BC州内の医療従事者また患者さんが無料でいつでも使える通訳サービスを提供しています。またこのサービス、なんと150以上の言語をカバーしているので、どんな患者さんの通訳でも頼めます。通訳サービスは、電話もしくは対面での通訳を選択でき、緊急時は電話、あらかじめ準備する時間がある場合は対面って感じで私はこのサービスを使い分けています。この団体で採用された通訳者は、団体指定の通訳資格保持者なので、基本的に医療知識もあり、通訳経験の豊富な人達が多いので、不安や不満を感じた事はほとんどありません。さらに文化的背景にも配慮して、通訳者の性別も選ぶことが出来るのです。とくに医療ソーシャルワーカーとしては、患者さんと繊細な話をすることも多いので、例えばDVの話をしなければいけない時なんかには女性の通訳者を選ぶことが出来るのはかなり助かります。
このサービスの唯一の欠点と言えなくもないのが、文化・言語によってはそのコミュニティーが狭すぎて、守秘義務への懸念というか患者側から見た安全が脅かされる・・・という事が挙げられます。というのも、少数派の言語・文化圏だと、通訳者と患者さんが知り合いだったり、同じコミュニティーに住んでいたりって事もあるからです。もちろん通訳者は守秘義務を守りますが、それでも患者さんにとっては(通訳者にとっても?)居心地が悪いことでしょう。まぁ実際、通訳者と患者が知り合いだった!なんて事は滅多に起こりませんが、ただ患者さん側が通訳の守秘義務を心配する事はやはり多いです。それだけ移民のコミュニティーって広いようで狭いんですよ(日系コミュニティーも然り)。
さてこの通訳サービス・・・私いつも以上に緊張しちゃうんですよ!
なぜって?それは私自身の英語力につい自意識過剰になっちゃうから(笑)。いや別に通訳者と張り合おうって訳じゃないんですよ(っていうか張り合ったら絶対負ける)、でも私の英語を使ってまず通訳者に通訳内容を説明するときに、ついつい「あれ?私の英語自体が変じゃない?通訳者に私の英語を理解してもらえるかな?」って不安に苛まれるんです。それに通訳者に「こいつの英語ひっでぇな〜」って思われてないかも心配だし。だって、やはり向こうは言語のプロ、きっと他者の英語力にもシビアなはず・・・なんて考えちゃうと、もういっそのこと私も私専用の通訳者を用意して、「私の日本語→英語+英語→他言語」って具合に通訳2人係でやってもらおうか?などとアホな事まで考えてしまいます。さらに通訳者を挟んでの患者さんとの会話って超難しいんですよ。ま〜患者さんがベラベラ喋ってるのを通訳してもらって聞くのは全然困らないんだけど、問題は私が話す時。ただでさえ自意識過剰でガクガクな英語を喋っている私なのですが、話している時も、どこで区切っていいのか混乱してますます英語が変になるのです。ウガガガガと全部喋っちゃって、それを通訳してもらった方がいいのか、それとも話を3部くらいに分けて小まめに通訳してもらった方がいいのか・・・一体どっちの方が通訳者は楽なんだぁ〜!?って思いながら話すと、なんだか一番中途半端なところで会話を止めちゃったりして、通訳者も「え?こんなとこで会話止めるの?通訳しちゃっていいの?」って顔をします(って被害妄想の私には見える 笑)。だからいっつもガックンガックンしている感じで私は今ひとつ通訳者を使うのが下手くそなのですが、まぁ〜きっと向こうはプロだから別に私がどこで話を区切ろうと、区切らなろうが、普通に通訳できるんだろうけどね(笑)。つまりは全て私の自信の無さから来ているのでした。
そんな私も、たま〜に医療通訳をする(させられる)時があります。それは医師や看護師長から「あ、そういえばシンペー日本語喋れたわね〜。ちょうどよかった、今からMさんにお薬の話をしようと思ってたんだけど、Mさんとその息子さんに日本語で説明してあげて〜」なんて突如言われる時。内容が難しくない時だけ、私は通訳もどきをしているのですが、それでも結構大変です。よくあるのが日本語&英語「三つ巴」通訳。例えば上記のMさんの例みたいに、Mさんは日本語しか話せないけど、Mさんの息子は英語しか話せない、って状況。これね〜すごい頭が混乱するんですよ。Mさんは私に日本語で質問し、それを私は日本語で答える。そしてMさんの息子さんは英語で私に質問し、それに私は英語で答える。そうしてMさん息子さん両方から質問攻めに遭ううちに、もうどっちがどっちか分からなくなって、Mさんに英語で答えて、息子に日本語で質問する、みたいになっちゃうんですよ。いや〜本当に通訳している人ってすごいな〜って私は尊敬します。昔は英語が話せるようになれば通訳なんて簡単にできるだろう!って思ってたけど、いやいやとんでもない。英語脳と日本語脳は繋がっていないんじゃないかと思うくらい、私の場合は繋げようとするとすぐに混線してショートしてしまいます(笑)。なので、やっぱり日本語での通訳の場合でも、私としてはきちんとプロの通訳者にお任せした方がいいって事なのでした。それに日本語の通訳者なら私も日本語で話せるし・・・でもそれはそれで気まずいかもね。だって日本語→日本語→日本語っていう微妙な通訳(笑)。
・・・という感じで今回は医療通訳についてのお話をしてみました。
日本でもこういうサービスあるのかな?これは本当に便利だし、医療従事者そして患者さん両者に助かるサービスで、それに医療倫理的にも必要不可欠だと思います。私もこれからもどんどんと通訳サービスを活用して、通訳者との英会話に慣れていくぞ〜!(と筋違いな決意をするのでありました)
おわり
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