医療ソーシャルワーカーの仕事5 ホスピス編
医療ソーシャルワーカーの仕事シリーズ第五弾。今回は緩和ケア・ホスピスソーシャルワーカーについてです。この仕事、医療ソーシャルワーカーには結構人気があって希望者が多いんですよ。医療の行き着くところは死、そういう現実の中で、患者さんの穏やかな最期に関わりたい、手助けしたいと思うのは、医療に従事する者にとって自然な気持ちなのかもしれません。私自身は経験したことはないけれど、友人や同僚の話を参考に、この仕事について紹介したいと思います。
緩和・ホスピスケアのチームは、医師、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、そしてスピリチュアルケアコーディネーターと呼ばれる宗教家(?)から構成されています。在宅ケアを主に担当するソーシャルワーカーと、ホスピスを担当するソーシャルワーカーに分かれていますが、どちらとも患者さんと家族の緩和ケアに関する教育、各種緩和ケア公的扶助申し込みのお手伝い、カウンセリングといった共通の業務をこなします。またホスピスソーシャルワーカーは、時には「退院」手続きを行うこともあります(これはのちほど・・・)。
カナダでは、余命が三ヶ月以内と診断された患者さんは緩和ケア・ホスピスケアを紹介されます。患者さんは、最期を迎えるにあたり、在宅ケアかホスピスケアのいずれかを選択することが出来ます。在宅ケアを選んだ場合は、緩和ケア専門の看護師が定期的に訪問し、またケアワーカーも必要に応じて派遣されます。ただし、24時間看護・介護といったサービスは提供されないので、在宅での緩和ケアは、家族の協力が絶対条件となります。
腎臓透析の患者さんの中でも、さまざまな理由で透析を中止し、緩和ケアへと移行する患者さんが多数います。大半の患者さんは、最初は在宅ケアを望みます。それは、そうですよね。誰だって、自分のベットで家族に囲まれて最期を迎えたいものです。しかし現実はそう簡単ではありません。在宅での死を選ぶということは、それを看取る家族にはそれ相応の覚悟というものが必要だからです。ここで言う「覚悟」とは、患者さんが最期を迎えられたときに、救急車を呼ばないという覚悟・・・在宅ケアを選んだ患者さんの家族の多くは、患者さんが最期を迎えられたとき(死の兆が現れたとき)、動揺して救急車を呼んでしまうのです。そうなると患者さんは救急車で病院に運ばれ、結局は病院でお亡くなるという結末になります。在宅で患者さんの死を看取るというのは、家族にとって大変精神的にも肉体的にも負担がかかると言うことなのです。しかしながら、希望どおり在宅で最期を迎えられる患者さんもいるので、やはり家族の覚悟しだいなのだと思います。
さて、このような話をすると、大半の患者さんは在宅での緩和ケアではなく、ホスピスケアを選ぶようになります。それは家族に負担をかけたくないという気持ちが大きいのだと思います。また、ホスピスのほうが24時間看護だから安心だという理由でホスピスケアを選ばれる患者さんもいます。ホスピス入居の条件は余命が三ヶ月以内であること。また腎臓透析の患者さんは、腎臓透析をやめることが条件となっています。ホスピスは無料ではなく、一日あたり小額の滞在費がかかりますが、緩和・ホスピスケアにかかる費用のほとんどは州の緩和ケアプログラムによって賄われます。また患者さんの金銭状況によりホスピス滞在費を払うことが出来ないような場合は、ホスピスソーシャルワーカーが公的扶助の手続きを行って州政府に負担してもらいます。
私の勤める保険局内には複数のホスピスがあるのですが、どのホスピスもベット数10-20床ぐらいで、共有のキッチン、リビングルーム、ソファー、ゲームルームなんかがあるアットホームな雰囲気です。またすべて個室なので、患者さんのプライバシーも守られています。ボランティアも定期的に慰問に訪れます。病院とはまったく違うこの環境で、予後の悪かった患者さんがどんどん元気になって結局ホスピスから退院していったなんて話を友人のソーシャルワーカーから聞かされてびっくりしたことがあります。ホスピスから生きて退院って、なんかすごく不思議な響きです。でも考えてみれば、これこそsocial determinants of health(健康の社会的決定要因)の良い例ではありませんか。苛酷な環境で生活していた余命数週間の患者さんが、アットホームで恵まれた環境のホスピスに来たことで肉体的・精神的に満ち足りた生活を送る。その結果、死ぬどころか元気になって退院することが出来たのです。もちろんこれは稀なケースなのでしょうが、結構その友人から「退院」手続きの話が出てくるので、そこそこある話なのかもしれません。
私はホスピスで患者さんの最期を看取ったことはありませんが、病院ではあります。透析を中断した患者さんの最期に何度か立ち会ったことがあるのですが、死の瞬間というのは、空気がサァーと変わるのが感じられ、そしてそこに立ち会った人たちと強くつながったような特別な感覚になります。とっても神聖で、でもちょっと人を不安にさせる、言葉では表現できない、なんとも不思議な瞬間なのです。この空気を感じること、そして残された人たちとの一体感を感じること、これが緩和ケア・ホスピスソーシャルワーカーの醍醐味なのかもしれませんね。私もいつか緩和ケア・ホスピスソーシャルワークの経験をしてみたいと思う一人です。
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