これからどうなるの!?カナダの生活保護 その3
その少ない受給額と融通の利かない申請方法で、医療ソーシャルワーカーたちを苦しめる“憎っくきカナダの生活保護”。しかし、それだけでは物足りないのか、生活保護はさらなる苦しみをソーシャルワーカーに与えるのでした・・・
と、ちょっとドラマチックに始めてみました「カナダの生活保護」最終章。
今回は、今までの生活保護に対する怒りとは少し違い、どちらかと言うと心配になるカナダの生活保護の将来についてのお話です。
前回までのお話で、州政府が全力で生活保護受給額と受給者の数を減らそうとしているのは、皆さんにもお分かり頂けたかと思います。その一番の理由はお金!州政府の福祉に関わる予算の削減です。ただ、どうやらそれだけではないらしいと感じるのは、ただ単に、私の第六感が優れているからでしょうか・・・
私がソーシャルワーカーだと名乗ると、大抵の人は「大変なお仕事ですね」とか「心の優しい人なんですね」(その通りです!)とか嬉しいことを言ってくれます。そんな中、たまに出会うのが:
「あなたソーシャルワーカー?そうそう、うちの近所の人が家もお金もあるのに生活保護もらってるのよ?ずるいでしょ?ちゃんと取り締まってよ!」とか、
「私の友達が生活保護を不正受給してるっぽいんだけど、どこに通報すればいいの?」とか、
「ソーシャルワーカーって大変だよね。生活保護もらっているような怠け者の人たちを助けなきゃいけないんだからさぁー」とか、
なんだか、困ったような、怖いような、ムカつくような、そんな気分になることを言われることもあります。まぁ明らかに、ソーシャルワーカーの仕事について、なにか勘違いされてることは間違いないんですが・・・でもそれ以上に、生活保護への一般の人の“思い”というか“イメージ”というかに気分がずっしりと重くなるのです。
そのような人たちに対して「あなたたちの生活保護に対する見方は偏見です!」って学生の頃のアツかった私なら叫んでいたことでしょう。しかし、自分も社会で働き始め、税金を納める身になって、「生活保護ってずるい!」っていう気持ちを持ってしまう人の気持ちも、分かるようになってきました(同意はしませんが)。とくに現場で働いていると、私から見て限りなく「生活保護が必要な状態」に近い低所得者の患者さんほど、生活保護受給者に厳しい意見を持つ人が多いように感じます。それは恐らく、彼らと生活保護受給者との収入にそれほど大きな違いが無いにもかかわらず、「自分たちは働いているのに・・・」という不公平感が、生活保護に対する負のイメージを彼らに植えつけてしまうのでしょう。
しかし現実は、低所得層であろうと、中間所得層であろうと、スーパーリッチでない限り、誰もが生活保護のお世話になる可能性はあるのです。それは、病気によって職を失い、あっという間に中間層から生活保護へと落ちていった(という言い方は好きではないですが)多くの患者さんを見てきた医療ソーシャルワーカーなら誰もが抱いている危機感です。私にだって、ぜんぜん他人事ではありません。生活保護への批判や、受給者への偏見は、ゆくゆくは自分に返ってくるんじゃないかと思うこの危機感こそ、私が「生活保護ってずるい」と思えない大きな理由の一つでもあります。
生活保護に対する批判で一番多いのが不正受給に関する問題です。これはメディアのせいなのか、政府の陰謀なのか、それは分かりませんが、カナダにおいては、一般のイメージするところの生活保護不正受給問題は、かなり誇張され歪められています。ともすれば、生活保護受給者の多くが不正をしているかのように思われがちです。しかし、過去の様々な社会調査から、生活保護の不正受給率は3%から最大でも5%未満と見積もられています。BC州の生活保護および障害手当ての年間予算が約120億円程度なので、不正受給総額を5%と見積もった場合では、毎年約6億円が不正に使われていることになります。これに対して、The Canadian Revenue Agency (カナダ歳入庁・日本で国税局にあたる省庁)のレポートによれば、毎年、租税回避と脱税による損害は5000億円~7000億円にも達します。
なぜ生活保護不正受給と脱税を比較したのかと言うと、私のカナダでのソーシャルワーカーとしての経験上、生活保護不正受給には厳しい世論も、脱税にはそれほど厳しくないからです。どうやら一般的には、脱税は「自分で稼いだお金なんだから、払いたくない気持ちも分かる」と納税者の共感を得やすいのに対し、生活保護不正受給には「私の貴重な税金を無駄に使われた」という納税者の怒りが先にきてしまうようです。しかし、不正総額の差を見れば、国に与えるダメージの差は歴然です。数億円VS数千億円!桁がまるっきり違います。
だからといって私は、「だから生活保護不正受給はたいしたこと無いんだ」と言いたいのではありません。私も納税者の一人として、生活保護不正受給も脱税もどっちも「ずるい」と思うし、ゆるせないと思います。でも、やっぱりどちらかというと、生活保護不正のほうに世論の矛先が向かってしまうのが、公平ではないな、と感じるのです。さらに、生活保護不正受給を厳しく責めることによって、生活保護制度自体がどんどん改悪されていって、不正をしていない95%の大多数の受給者の生活を苦しめたり、また将来、一時的に生活保護が必要になるかもしれない「私たち」の権利・機会をも奪ってしまうことになるんじゃないかと、ソーシャルワーカーとしても、一個人としても、私は将来に対して心配になってしまうのです。
当然のごとく、このような生活保護に対する厳しい世論を政府は喜んで聞くでしょう。それは世論の後押しを受けて、どんどん社会保障予算を減らすことが出来るからです。でも本当にそれで大丈夫なのでしょうか?私がいつか予期しなかった病気になって、職も貯金もコンピューターも携帯も失って、何回も何回もオンライン申請に挑戦した結果やっともらえた生活保護費が月700ドル。その700ドルで、バンクーバーで生活しろ!って病院から放り投げだされたら・・・しかも今日みたいな雪の日に・・・そんな想像を膨らましただけで、もうゾクゾク・ドキドキします。そして現実そういう状況に陥る患者さんが日々この病院には沢山いるのです。そう考えると、今度は患者さんが感じるであろう不安や寂しさが容易に想像でき、とっても悲しい気持ちになります。
生活保護は私たちすべてにとっての社会インフラ、最後の砦です。憲法で保障されている最低限の人権は、生活保護なくしては守ることは出来ません。
それでもつい給料日には「あーあ、今月もこんなにたくさん税金とられたよ。ちゃんと自分の税金使われてるのかな?無駄に使われてるんじゃないのかな?」と勿体無く思ったりもします。そして今流行の「トランプ式アンチ社会保障制度」的風潮に流されそうになるときも当然あります。でもそんな時は「明日はわが身」と自分を言い聞かせます。だって本当に、いつ自分も無一文になるのか、この激動の競争社会においては誰にも分からないからです。それに加えて、これ以上医療ソーシャルワーカーとしての自分の仕事が増えるのも困りますし・・・って結局、全部、自分の身の安全のためかよ!って叱られそうですが、でもそれが社会保障制度の原点だったと大学で学んだような、学んでないような・・・忘れちゃった(おわり)
P.S 日本でも最近、生活保護減額のニュースを聞くようになったので心配です・・・
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