アドバンス・ケア・プラニング(ACP)ってなに?前編
アドバンス・ケア・プラニング(Advance Care Planningを略してACPと呼ぶ)は、医療ソーシャルワーカーが関わる業務の中でも重要なものの一つです。ACPとは、患者さんに前もってどんな治療なら受けたいか、受けたくないか、そしてもし自分が意思表示できない状態になったとき、誰に自分の治療方針を決めてもらうのかを考え、そしてご家族・友人・医療従事者と話し合ってもらうことを言います。つまりACPの目的は、意思表示の出来る今、自分に合った将来の治療方針を立ててしまうことで、万が一のときに、自分の意思に沿わない治療(例えば、経管栄養や人工呼吸による延命治療)を受けなくても済むように、そして自分らしい尊厳を持った生き方が・死に方ができるように準備することなのです。ただこのプロセスは簡単なようで、簡単ではありません。例えば:
1)患者さんは将来のことを考える準備ができているか?
病気になった患者さんにとって、将来のことを考えるのは精神的にキツイこともあります。特に予後が悪い病気を患っている患者さんは、死について考えることへの準備が出来ていないかもしれません。
2)家族・友人がACPを患者さんと話し合う準備ができているか?
患者さんが将来の治療方針について考え、それを家族・友人に伝えたいと思っても、家族・友人には患者さんとACPを話し合う心の準備ができていないかもしれません。「縁起でもないこと言わないで!」とACPについて話し合うことを断られてしまうこともあるでしょう。
3)家族・友人が患者さんの治療方針に賛成しているか?
患者さんは尊厳のある死を考えたとき、延命治療は自分の価値観と合わないと考え、家族・友人にもしもの時は延命治療をしないように頼むかもしれません。でも、その考えに家族・友人は反対するかもしれません。
4)患者さん、家族・友人はACPの目的を理解しているか?
どうしてそんな縁起でもない将来のことを考えないといけないの?治療方針はその時に、お医者さんに決めてもらえばいいんじゃないの?将来の治療方針なんて、医療知識の無い素人には決められないよ! っと言うように、ACPの目的や、どうやってACPをはじめたらいいのか分からない患者さんや家族・友人もいるでしょう。
上記のような状況を考慮しつつ、慎重にしかし粘り強くACPについての大切さを患者さんに教え、そして患者さんとACPを話し合い、患者さんとご家族・友人との会話を援助・調整するのが、医療ソーシャルワーカーのACPにおける役割なのです。またACPは、患者さん、そのご家族・友人にとって精神的な負担をもたらすこともあります。そのためACPを話し合う過程で、医療ソーシャルワーカーは常に、患者さん、そしてご家族・友人の心のケアに勤めなければなりません。
なぜそんなにACPって大切なのでしょうか?
それは私のACPについての苦い経験から見ることが出来ます・・・
ある日腎臓透析に通っていた88歳の患者さんが、敗血症になって入院されました。予後は悪く、担当医は両足を切断するか、緩和ケアに移行させるかの選択を家族に説明しました。ただ担当医は足を切断しても敗血症が治る確率は1%くらいだから、緩和ケアで余命3ヶ月程度を過ごさせたほうが患者さんのQOL(生活の質)はいいんじゃないかと、家族に緩和ケアを薦めました。また私が患者さんとお話した時も、患者さんは「私ももう88歳だし、これから足が無くなって困るよりは、気持ちよく死んだほうがいい」と緩和ケアを希望でした。しかし、患者さんのご家族は1%でも奇跡を信じたい、少しでも長く生きて欲しいと、患者さんの両足切断を希望していました。結局、患者さんは家族に押し切られる形でしぶしぶ足を切断したのですが、手術後3日で亡くなられました。
この患者さんとはお話をする機会も多く、彼女の考え方、人生に対する価値観なども知っていたので、結果的に、本人の希望した治療を受けれなかったことが残念でなりませんでした。同時に、医療ソーシャルワーカーとして、もっと出来たことがあったはずだったという思いが消えません。もっとACPに時間を費やし、患者さんとご家族がお互いの気持ちを伝え合う場を設けていれば、そして家族に気を使っていた患者さんの代わりに、私が患者さんの気持ちを代弁していたら、もしかしたらご家族も患者さんの希望した緩和ケアに理解・納得してくれたかもしれません。きっと家族としては、患者さんを緩和ケアに移行させることに罪悪感のようなものがあったはずですから、そこを医療ソーシャルワーカーが理解を示し、心のサポートをしていたら、結果は違っていたんじゃないかと今では思います。
ACPは必ずしも重症化した患者さんの為ばかりではありません。むしろ、健康な人たち、重症化していない患者さんこそACPをするべきなのです。それはまだ将来について考える能力と精神的余裕があるからです。でもどうやってACPを始めたらいいのでしょう?とくに病気にかかってなければ、将来の治療方針など想像できませんよね?そのためACPをする上で大切になってくるのが自分への問いかけです:「私にとって生きる楽しみとはなんなのか?」「私にとって一番大切なものはなんなのか?」「私にとって一番の苦痛とはなんなのか?」などなど、自分の人生における価値観を見つめることこそACPの始まりなのです。
例えば、私のように食いしん坊の人がいたとしましょう。この人はラーメンの食べ歩きが大好きで、毎週のようにおいしいラーメンを求め日本中を周っています。この人にとって「おいしいラーメンを食べ歩くこと」は人生を豊かにする大切な活動なのです。でも、もしこの人が病気になって、延命の為には一生涯「経管栄養(チューブによる栄養投与)」が必要だと言われたら、果たして延命しようと思うでしょうか?もしかしたら経管栄養を受け入れるかもしれないし、受け入れないかもしれません。でも少なくとも自分の人生で何が大切かを考えることは、将来ぜったい受け入れられない治療を考える上での大きな指針となります。ちなみに私は、友人との会話、食事、そして旅行が大きな楽しみなので、意識障害があり経管栄養が生涯必要な状態での延命は望みません。
このように、私には将来ぜったい受けたくない延命治療というものがあります。しかし、もし突然私の意識が混濁したら、↑の意志を誰かが伝えなくてはいけません。そう、私の意志を伝えてくれる人を探さなければならないのです。いわゆるACPにおける「意志決定者 Medical Decision Maker」を決める必要があります。さぁー一体だれに託しましょうか?
ということで、次回はこの「意志決定者」についてのお話をしたいと思います。医療ソーシャルワーカーを大変悩ますのも、この「意志決定者」の問題なんですよ・・・それは、また明日。
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