あなたなら、どっちを選ぶ? 倫理ジレンマのケース
医療ソーシャルワーカーの仕事は常にジレンマがいっぱいです。Aを選ぶべきか、Bを選ぶべきか、それともCを選ぶべきか・・・患者さんの為に医療ソーシャルワーカーが取るべき選択は一体どれが一番良いのか?残念ながら、これです!という答えが出ないのがジレンマたる所以、どれもが正解であり、そして不正解でもありえるのです。結局どの選択肢を選ぶかは、個々の医療ソーシャルワーカーの価値観、理念、信条、信念と言ったものに委ねられるのです。このような正解のないジレンマの事を、Ethical Dilenma(倫理ジレンマ)と呼びます。最近、私がこのEthical Dilenma(倫理ジレンマ)を考えさせられるケースがありました。ぜひ皆さんも、「自分だったらどっちを選ぶだろうか?」をこのケースから考えてみてください。
先々週、私の担当の患者さん、Gさんをホスピスへと見送ったのですが(「患者さんをホスピスへ見送る時」参照)、Gさんはホスピスへ入居後3日ほどで亡くなられました。さてこのGさん、家族とは疎遠で、家族の誰にも知らせずひっそり逝きたいと私に話してくれ、そして荼毘なども公的管財人(Public Gurdian & Trustee)に一任すると言っていました。Gさんは透析を止める事にも、そしてホスピスで死を迎えることも自分で決断し、そしてホスピスへと見送った日は、とても穏やかで落ち着いていました。Gさんはきっとホスピスで安らかに亡くなられていったのだろうと私は思っていたのですが、ホスピスソーシャルワーカーのカルテをみると、どうやらそうでもないらしかった様子が伺えます。
ホスピスソーシャルワーカーのカルテによると、このソーシャルワーカーはGさんと荼毘についての話をしたようです。私がGさんとお話したように、ホスピスソーシャルワーカーもGさんと公的管財人にGさんの荼毘を任せても良いのかどうかというお話をし、そしてGさんの同意を得たのですが、さらに荼毘に付されたお骨は誰に引き取ってもらいたいか?というお話もしたのです。そしてGさんは、彼の友達が引き取ってくれるはずだとホスピスソーシャルワーカーに話しました。
そのホスピスソーシャルワーカーがGさんの友達に確認のため電話をすると、Gさんの友達は「俺はGさんのお骨なんて引き取りたくないよ!」と拒否しました。そしてこのホスピスソーシャルワーカーはGさんに、彼の友達はGさんのお骨を引き取るつもりがないという事を伝えたのでした。Gさんをこの事にとても腹を立て、そして落ち込んだ様子を見せました。そして残念ながらその翌日Gさんはお亡くなりになったのです。
この事を知った時、私は「どうしてこのホスピスソーシャルワーカーは、わざわざGさんに彼の友達がお骨引き取りを拒否した事実を話してしまったんだろう?」と思いました。私だったら、余命いくばくもないGさんの心を乱したくないなと思い、そしてGさん自身「自分は無宗教で、死んだ後の事は心配してないし、公的管財人に丸投げするよ!」と言っていたので、お骨の件はGさんが亡くなられた後、公的管財人が決めればいいじゃんね、っと思ったからです。
そんな事を私の同僚と話したら、私の同僚は「そんな事したら倫理違反でしょ?Gさんのお骨はGさんがどうするか決める権利があるんだから!」と言うではありませんか。彼女に言わせれば、Gさんの尊厳を尊重するためにも、お骨をどうしたいかをきちんと決めることは大切だと主張するのです。
う~む、確かにそれも一理ある。と私も思ったのですが、どうやら私から見てこの問題には3つの要素が見え隠れしているように思えるのです。それは、医療ソーシャルワーカーとして:
1. Gさんの死期に際して、心の平穏を与える職務
2. Gさんの死後の尊厳(=荼毘・納骨)を保つ職務
3. Gさんが事実を知る権利を保障する職務
私は1)の職務に一番の重きを置いたので、Gさんには友達のことは伝えないで、安らかに亡くなって貰いたいと思ったのですが、私の同僚やホスピスソーシャルワーカーは2)と3)の要素に重きを置いたのでしょう。そしてどの選択枝に重きをおくのか?は、それぞれ自分の価値観が色濃く反映されます。私の場合ですと、私自身それほど宗教的ではないので死後の尊厳よりも今の心の平穏の方が大事だと思ってしまい、またWhite Lie(罪のない嘘)も幸せに生きていくためには必要不可欠だという信条があるので、この価値観が大きく私の選択に影響を与えています。それに対して私の同僚は、恐らく私よりも宗教的で、真実を知ることへの権利意識が私よりも強いのかもしれません。
いずれにしても、このGさんのケースではきっとどの選択肢を選んだとしても医療ソーシャルワーカーは苦い思い、そして「自分の選択は正しかったのかな?」という不安が付きまとうことは間違いありません。なぜならそれが倫理ジレンマだからです。答えが無い選択示を選ぶことは、私たちを不安にさせ悩まし、選択を選んだ後も全然スッキリしないので出来れば避けたいものです。でも倫理問題満載の医療現場で、しかも複雑な人間(社会)の問題と対峙する医療ソーシャルワーカーにとって、この倫理ジレンマによるモヤモヤ感は常に付き合っていかないといけないものなのです(悲しいけど 涙)。白黒つけたいタイプの医療ソーシャルワーカーは遅かれ早かれこの業界を去っていきます。なぜなら殆どの事柄・問題はグレーなのが私たち人間社会の現実だからです。
さて皆さんは:
余命いくばくのGさんに、友達がお骨の引取りを拒否した事実を伝えますか?
それとも伝えませんか?
・・・それとも、もしかしてもっと良い解決方法が見つかりましたか?(ぜひ教えて!)
Gさんの御霊が今は安らかでありますように。
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