若い患者さんとピアサポートの力


前回、私が腎臓透析科のアイドルだと言うお話をしました(*高齢女性患者さん限定)。高齢者が多い腎臓透析科なので、わりと頻繁に高齢患者さん達からチヤホヤされる私は、すっかりアイドル気分にさせられて自分の魅力(チャーム)が持つ威力をついつい過信(勘違い)してしまいます。「誰だって私の力に掛かれば笑顔になるんだ!」なんて気持ちの悪いことまで信じてしまうのが(自称)アイドルの怖さ。でも、唯一そんな私の自信をぶち壊してくれるのが、若い10代20代の患者さん達なのです。ちょうど氷川きよしの歌が10代20代の若者の心に響かないように、私の魅力(チャーム)も彼ら・彼女たちには効かないみたいです・・・っていうか、むしろうざがられている!!!(涙)。



一般的に腎臓病は生活習慣病(例:高血圧、糖尿病、心臓病、痛風など)が発症の原因となることが多いので、高齢者が罹りやすい病気です。しかし腎臓病にはpolycystic kidney disease(多発性嚢胞腎)という慢性腎不全を引き起こす疾患があって、これは遺伝性ですので若い人でも腎臓病になってしまうのです。うちの腎臓透析科にいる10代20代の患者さん達もpolycystic kidney diseaseによる腎臓病で、多くは子供の時からずっと透析生活を送ってきた患者さん達です。



さて、10代20代の彼ら・彼女らとの相談業務は、医療ソーシャルワーカーにとってなかなかのチャレンジ、一筋縄ではいきません。まずは挨拶をして、元気~?って聞いても「別に・・・」だったり、透析治療どう?大変?って聞いても「別に・・・」、何か不安な事とか心配事とかない?と聞けば、「別に・・・」と返事が返ってきます。「別に・・・」しか言葉を知らないのかぁ~!!!とおじさんは叫びたくなります(そういえば、昔「別に・・・」を連発して炎上した日本の女優がいましたね 笑)。でもよく考えてみたら、自分が10代だった頃、大人(おじさん)たちに色々聞かれて嬉しそうにハキハキ答えていたような記憶は私にもありません。逆に、やたらと干渉したがる大人はうざいと思ったし、むしろ警戒していたような記憶もあります。特に自分の感情を読まれることにはものすごく嫌悪感を感じて、知ったかぶりで話をしてくる大人が大嫌いでした。そう思うと私の若い患者さん達に対するアプローチは完全にNG、うぜぇーおやじアプローチの典型だったのです!それにしても、どうして年を取ると、昔の繊細さを忘れて面の皮ばかりが厚くなってしまうんでしょうね?厳しい社会で生き抜くための生存本能のせいなんでしょうか?それとも年とともに自信過剰になって単に厚かましくなるからでしょうか?



いずれにしても、私の「おじさんが君たち若者の悩みを聞いてあげるから、何でも話してごらんなさい?」アプローチは効かないどころか、若い患者さん達をイラつかせるだけという事が分かりました。でもだからと言って、今更私が10代の頃のように「病院の大人ってうざいよね。いい加減ほっといて欲しいよ。だいたいあいつら干渉しすぎなんだよ!」と言って若者の共感を得るのも、かなり無理があって嘘っぽくなるし・・・あっ、でも大人の部分をマネージャー(上司)という言葉に置き換えれば、このセリフも上手く言えそうだ!って思ったけど、上司の悪口を言うこと自体、大人になった証ですよね。ま~そんな事はどうでも良く、私が言いたいのは、私のようなおじさんソーシャルワーカーには、どうやって上手く若い患者さん達のサポートをしたらいいのか時に分からなくなってしまうのです。



でもだからと言って、彼ら・彼女らが口にする「別に・・・」は、「別にサポートなんかいらないよ!」っていう意味であるとは限りません。彼ら・彼女らの多くは、腎臓病のせいで周りの10代20代のような生活は送れません。仲間とお酒を飲みに行ったり、焼肉食べ放題に行ったり、一晩中踊り明かしたり、衝動的に旅に出かけたり、といった事も出来ません。そういう中で、家に引き篭もって一日中ゲームをして過ごし、会話はたまに親から話しかけられた時だけ返事する、っていう様な、自分からも家族からも孤立してしまう患者さんが、本当に若い人には多いのです。自分の内に篭ってしまい外の世界と断絶する・・・それは、外の世界の絶望から自分の身を守る方法なのかもしれませんね。



しかし、そんな諦めたような死んだような目をしている彼ら・彼女らが一瞬目を「キラリ」と輝かす瞬間があります。それは自分と同世代で同じ経験をしている・した人と話をする時。実は私の透析科には、かつて腎臓病を患い、透析経験のある看護師Aさんがいます。彼女は腎臓移植を受け、看護師となり、今は自分の治療経験を生かすために透析科で働いているのです。そして10代20代の患者さん達は、みな一様にこの若い看護師Aさんには心を開くのです。



私の担当する若い患者さんのD君は20歳。子供の時から腎臓透析をしていて、20歳になった今でも母親と一緒に透析に来ます。D君も若い患者さんの例に洩れず、私が話しかけてもYes/Noくらいしか言わず、お母さんがD君の代わりに私の質問に答えるのが常でした。そのD君だんだんと透析をサボるようになって、腎臓医や看護師長、私なんかが説得してもD君のサボり癖は治るどころか酷くなる一方。おまけに今度は母親が息子にあまり干渉してくれるなと私たちに噛み付いてくる始末。かと思えば、母親は私たちにD君を透析に来るよう説得して欲しいと相談してきたりと、ひどく混乱しているようでした。でも私は、D君の問題はこの母親の過干渉がそもそもの原因なんじゃないかと思うのです。そしてこれは決して珍しいケースでもありません。若い患者さんには結構な割合で過干渉な母親が関わってきます。私は子供がいないので適当なことは言えないのですが、子供の頃から病気がちだった子供を持つ母親には、ある種の罪悪感みたいな気持ちが子供に対してあるようで、それが子供(成人していても)への過干渉・過保護へと繋がっているんじゃないかと、私はソーシャルワーカーとしての経験から推測するのです。



さてこのD君、なんと心を改めて(?)透析にちゃんと来るようになったのです。なぜか?それは例の元腎臓患者だった若い看護師Aさんにコテンパンに怒られたからなんです!私たちの前では捻くれていたD君も、もと透析経験者のAさんの前では「可哀想な自分」の殻で言い訳することも出来ません。だってAさんもD君と同じ辛さを味わってきたんですから。そしてD君も、自分と同じ辛さを味わったAさんには、自分の気持ちが分かってもらえるという安心感・信頼感が芽生えるのでしょう。素直にAさんのアドバイスを聞くのです。この時ほど私はピアサポート(同じ経験をした人によるサポート)の力を目の当たりにした事はありませんでした。



このように腎臓透析患者さん、とくに若い患者さんにはピアサポートが最大の効果を発揮するのですが、残念ながら今のところ若者患者さん向けのピアサポートを提供するコミュニティー資源がないのです。Kidney FoundationというNPOが腎臓患者向けに電話相談によるピアサポートを行ってはいるのですが、電話相談のピアボランティアのほとんどは高齢者で、また電話というのも若者から敬遠される一因でもあります。私は、いつかKidney Foundationと若者向けのピアサポートプログラム(例えば:グループワークやオンラインによるピアカウンセリング)が出来ないかどうか一緒に話し合うチャンスを作りたいと思っています。そしてまた、腎臓透析に来ている若い患者さん同士が交流できる機会をどうやって作ろうか、それも思案する日々です。未来ある若者には、ぜひとも夢と希望を持って欲しいとおじさん(本当はお兄さんと呼んで欲しいが・・・)は思うのです。そういう意味でも、看護師Aさんの存在は若い透析患者さんにとって偉大なのです!!!(私にとっても)。

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