「~らしく」生きる事の苦しさ

先日、私の担当の患者さんCさんが、ソーシャルワーカーに助けを求める電話をしてきました。このCさん、腎臓透析科には珍しい40代の若い男の患者さんで、ソーシャルワーカーに弱音なんて滅多に吐かない人だったので、私は突然の電話に内心とっても驚きました。



Cさんは腎臓移植を希望していて、その為に大切な検査が昨日あったのですが、うっかり忘れてしまったそうで、その事に大変腹を立てている様子でした。Cさんは興奮気味に「俺、もう一体どうなっちゃたんだろう。今日が何日・何曜日かも分からなくなっちゃって、絶対行かなきゃって思ってた検査もすっかり忘れて、あ~もうどうしていいか分からねぇ~!ちきしょう!なんで俺の人生こんなボロボロになっちまったんだ。仕事も失って、金もなくて、兄貴とも喧嘩して、恋人は病死しちゃうし、食べるもんもないし、ぜんぜん寝れね~し、記憶も飛ぶし・・・マジやってらんね~」と、どうやら問題の闇は深そうです。出だしの一文で、もしかしてこの人うつ病の傾向があるんじゃないか?と私は思ったのです。それは私が彼の生い立ちも知っていたからです。



背が高くガッシリ体系のCさんは、いわゆる北米文化で言うMacho(マッチョ?男らしい?悪っぽい?)な人で、いつもクールで、しかし短気・キレやすい性格も持ち合わせています。過去には病院のカフェテリアの職員の態度にブチ切れて、その職員に食パンを投げつけ、挙句カフェテリアを出禁になってしまうなんて事もしでかしました。しかしこの強面のCさん、実は子供時代母親から虐待を受けていて、それが彼のアンガーマネジメント(anger management)怒りの抑制に大きな影響を与えているようです。またこのアンガーマネジメント問題の所為で、服役歴もあり、詳しい事は分からないものの、どうやら傷害事件を起こしてしまったようです。また虐待のためか、女性不信の一面も持ち合わせており、度々女性看護職員と揉めるような事もありました。そんなCさんにも、信頼の置けるパートナーの女性がいたのですが、なんと昨年37歳の若さで病死してしまったのです。またCさんの透析治療は今ひとつ効率的にいかず(それはCさんが食事療法など守らない所為もあるのですが)、Cさんは体の不調に苦しんでいます。その結果、建築関係の仕事も辞めざる得なくなり今は職場からの障害手当てで生活しています。ただ障害手当ては給与の半分以下なので、生活も苦しくなり車も抵当に出されてしまうくらい危機的財政状況を抱えています。おまけにお兄さんにもお金を騙し取られ、家賃も満足に払えず、今は大家さんと喧嘩をしている状況なのです。



・・・とまぁ、このような背景を抱えていれば誰だってうつ症状が出てしまいますよ。その結果、Cさんの頭の中が色々なことで一杯で、寝られず、そして記憶にも障害が出るのは、うつ状態も関係しているんじゃないかと私には思えたのです。しかし、Cさんに精神科医の受診を勧めるのは簡単ではありません。なぜなら、そこにはMacho「男らしさ」という邪魔者が入るからです。



電話で弱音を吐くCさんに、私は「Cさん、結構ストレス溜まってるみたいですね」と相槌をうつと、Cさんも「そうなんだよ。もうなんだか、どうなってるか分からない」と泣きそうな声で言うので、おもわず私は「こんな状況じゃ、悲しくなったり、泣きたくなったりしますよね」と共感を示したのですが、これ大失敗でした。Cさんの声は突然硬くなり「え!?泣いたりなんかしねぇ~よ。俺、元ボクサーでいつだって強く生きてきたんだぜ。めそめそ泣いたりしね~し。ただ金もね~し、記憶も飛ぶし、なんか色々ストレス罹る事が多くてしんどくて、なんかもう自分が嫌になってきて、もやもやした気持ちになってるだけだよ・・・」と言います。それを悲しい気持ちって言うんだよ!!と私は心の中で叫んだのですが、マッチョな男は「悲しい」とか「苦しい」とか「怖い」とかいう感情を表現することはNGなのでした、と思い返し、「Cさん、そんなに色々あったら誰でもしんどくなりますよ。記憶だって飛ぶし、眠れなくもなりますよ。でも眠れないとますます記憶も飛んで、出来る事も出来なくなって、それでますます自分がどうなっちゃったんだ!?って気持ちになりませんか?」と出来る限り無難な言葉を使って聞き返します。するとCさんは「その通りだよ!」と私の掴みに乗ってきてくれるではありませんか。どうやら先ほどの失点は挽回でき、少しだけ信頼関係が築けたようです。



そしてここからが難問。どうやってCさんに精神科医との面談を促すか。だいたいCさんじゃなくたって、普通「精神科医に診てもらいなさい」なんて言われて「はい、ぜひそうします!」なんて人のほうが少ないですよね。私だって、誰かにそんな風に言われたら:A)私が変だって言いたいの!?もしくはB)そんなに弱ってる風に見えてるのかぁ、とどっちにしても少し傷つきます。弱ってる姿を人に指摘されるのって、なぜだか傷つきます(でも、なんでだろう?)。そんな訳で、マッチョなCさんには慎重に言葉を選んで精神科医との面談提案をしなければいけません。


私:「Cさん、眠れないとか記憶が飛ぶとかって、うつ症状が関係していることもあるから、精神科医の先生と相談してみたら?眠れる薬も処方してくれることもあるし、眠りが改善されたら少し楽になるかもよ」(ドキドキ)


Cさん:「そうか、確かにしっかり眠って、記憶もちゃんと戻したいから、先生と話してみてもいいかも」


私:「そうだね。じゃー明後日、透析してる時に先生に来てもらおうか?いい?」


Cさん:「おう」


私:(あ~良かった。どうにか上手くいった・・・)



という具合で、なんとかCさんを精神科医に診てもらうことに成功したのでした!


でも私思うんです。Cさんだって馬鹿じゃないんだから、精神科医に診てもらう本当の理由は睡眠障害だけではなく、心に重くのしかかるうつ症状についてなんだと分かってるはずです。そして恐らくCさん自身、心のモヤモヤをなんとかしたいと強く願っているはずです。しかし、マッチョ「男らしく」生きなければいけないCさんには、心の「弱音」を吐く事は出来ません。だから自分から「精神科医に診てもらいたい」とは思っていても言えないのです。



Cさんとの相談で私は今更ながら「~らしく」生きるってめんどくさいな、と思います。でも同時に私たち誰もが何かしらの「~らしく」に縛られている気がするのです。「男らしく」「女らしく」「大人らしく」「親らしく」「プロらしく」「日本人らしく」「ソーシャルワーカーらしく(?)」などなど、多くの「~らしく」は私たちが生きたいように生きることを制限し、それが私たちを息苦しくさせるのです。さっき、「弱ってる姿を人に指摘されるのって、なぜだか傷つきます」と書いたのですが、これも「~らしく」生きる事と関係があるように思えるのです。多くの「~らしく」は、私たちに自制心を強要します。それは弱音を見せてはいけないという事。つねに強く、冷静沈着に、型からはみ出さないで、秩序を保って生きる事。それが仮に「私らしく」という言葉でも、なんとなく↑のような強さを強要されているような気がするのは、私の気のせいでしょうか?



そんな訳で、「男らしく」に縛られなければCさんはもっと素直に自分の気持ち・感情を表すことができ、それがCさん自身の現在の苦しみをもっと軽くする助けになるのになぁ~と思うと、私は少し悲しくなりました。でも「男らしく」生きる事に誇りを持っているCさんも尊重したいと私は思うのですが、でもやっぱり苦しそうだな・・・と心配になってしまうのです。一体誰がどうして「~らしく」を作り出すんでしょうかね?やはりこれも社会構造の問題なのか?弱音を吐いても恥ずかしいと思わなくて済む社会にしたいですね~。


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