悪夢の再来!?肩甲骨とうつの恐怖!おわり


再び前回からの続き・・・


右肩甲骨痛は治ったものの一向に治まらない不安感。休養のため私はバンコクから日本へと向かったのでした。



実家でゆっくり休養するぞ~!と思ったものの、休養ってどうするの?って感じで、ソワソワした不安感は家でジッとしていても良くなりません。とくに朝方は酷くて、ドヨ~ンという気分の落ち込みと、じっとしていられず動き回りたくなる衝動で、頭がおかしくなりそうです。また食欲も朝、昼は全くなく、朝食を食べるのが苦痛でしかたありませんでした。さすがの私の両親も、神経質そうに動き回る私を心配そうに見ています。私もみんなを不安にさせてる事を感じ取り、私の不安感はさらに高まるという悪循環に陥ります。



「このままではいけない!なんとかしないと!」私も頭の中で、この状況から何とか抜け出さなければ、この不安感を治さないと、と必死になって出来そうなことを考えます。気分転換に自転車にのって遠くまで行ってみたり、ジョギングしてみたり、温泉に行ってみたり、不安感・うつ状態に効きそうな事は全部やってみました。でも、頑張れば頑張るほど気分はどんどん落ち込むのです。まるで、真っ黒な泥沼の中に落とされたような感じでした。もがけばもがくほど泥沼に沈んでいく感じ・・・



とうとう父親の知り合いの医者から紹介された精神科医と相談する事になりました。診断の当日、私は父親に付き添ってもらい街中にある心療内科に行きました。心療内科の待合室で周りを見渡すと、結構若い人が多いのが目に付きます。とりあえず椅子に座って待つ事にしたのですが、大勢の患者さんと一緒に心療内科の待合室で精神科医を待っている自分がなんだか急に情けないような、恥ずかしいような気持ちになって、居心地の悪さを感じました。おまけにいい大人の自分が父親に同伴してもらってるし・・・あれ?あらら?でも今まで私は何度となくクライアント・患者さんに「精神科の先生に診てもらうことは恥ずかしいことじゃないんですよ」とか、「誰だってうつ病になる可能性はあるんだから、うつ病なんて風邪と同じなんですよ」とか、「恥ずかしい病気なんてないんですよ」なんて言葉をかけてきたよね?でもいざ自分が心療内科で精神科医に診てもらう事になったら、とたんに恥ずかしさを感じてしまうなんて・・・なんと私は偽善者ぶっていたんだろう!と、今まで正しい事を言ってたつもりでも、実は自分自身でも気が付かない深いところで精神疾患に関する偏見を持っていた事に今更ながら気づかされて、ますます自分が恥ずかしくなりました。また、今まで実習や実務では、ソーシャルワーカーとして医療従事者側だったのが、今回は患者としての立場になり、なんだか急に力・コントロールを失ったような、弱者になってしまったような気持ちになったのです。患者となったこの時、医療従事者と患者とが持つ力の不均衡を初めて私は実感したのでした。



さてここの精神科医の先生は、年季の入ってそうなおじさん先生でした。実は私、この日の為に「心の波チャート」なるものを作って持ってきたのです。朝、昼、夜と、どのように私のムード・不安感・気持ちの落ち込みが上下しているのか図にしたものを一週間分まとめて持ってきたのです。私のチャートからは、気分の落ち込みは朝が酷く、夕方から良くなるという傾向が目に取れます。そんな私が精魂込めて(?)作った「心の波チャート」をおじさん先生は一瞥すると、「君はどこの高校出身?」と唐突に聞いてきます。なんちゃって進学校である私が卒業した市内4番手高校の名を出すと、「ふ~んそう。で、大学では何勉強したの?」と聞いてきます。なんだかアルバイトの面接みたいだな、と思いつつ「社会福祉ですが・・・」と答えると、「ふんふん。はい分かりました。あなたの診断名は不安神経症です!」と占い師のようにおじさん先生は私の病名を宣言したのです。「不安神経症って今はうつ病の一つとして定義されるから、もう使われてない診断名だけど、君の場合は神経症だから。まぁとにかく抗不安薬3か月分出しとくから、朝昼晩一日3回飲んで様子みなさい。ひと月ぐらいすれば元気になるから、そしたらまた海外協力の仕事楽しみなさい」そういって私の診断は終わったのでした。



なんだか、あっけなく終わってしまって、私はしばらくボーっとしてしまいました。さらに、自分がせっかく作った「心の波チャート」がおじさん先生に評価&ろくに見てもらえなかったことを思い出し、今度はムカついたのでした。なんか精神科医って、もっと親身になって話を聞いてくれるのかと思ったのにな~・・・とガッカリしましたが、しかし、あっさり良くなると言われた事は私に希望を与えてくれました。過保護の私の父親も、先生の「大丈夫、すぐ良くなりますよ」にホッとした様子でした。そうしてその後、薬局で3ヶ月分の抗不安薬をドッサリ貰って家に帰りました。ベトナムのクリニックでは、わざわざ金庫からもったいぶって出して、一週間分しかくれなかった同じ抗不安薬を3ヶ月分もいっぺんに出してくれるなんて、あのおじさん先生なかなか太っ腹だな~!などど不安神経症の私が思うはずもなく、むしろ「こんなに必要なほど悪いのか?」と余計に不安に思ってしまったのでした。



私はこのうつ&不安症経験で、一つ大きく学んだ事があります。それは薬を飲む事への罪悪感。おじさん先生から、朝昼晩と一日3回抗不安薬を飲むように言われたのですが、毎回この薬を飲むたびに「ちょっと今日もまだソワソワするから飲むね」と誰にともなく言ってしまうのです。別に言い訳する必要もなく黙って飲めばいいのに、親や自分自身に言い訳がましくなって、そして決まって薬を飲まなければいけない自分が情けなくなってしまうのです。こんな事は風邪薬や抗生物質なんかを飲んだときには感じたことのない異様な感情です。恐らく、薬を飲むたびに自分が精神疾患にかかっていること思い出してしまい、そして自分自身が持つ精神疾患への偏見から薬を飲む事への抵抗・罪悪感が生まれるのでしょう。私が高齢者精神科病棟で実習していた時、どうして患者さん達は薬をきちんと飲まないんだろう?って思ったものですが、自分が抗不安薬を飲むようになってようやくその理由が分かったような気がしました。やっぱり無知だった自分・・・



そしてもう一つ、抗不安薬を飲む事への罪悪感を感じさせる理由に周りからの期待がありました。私の親も友人も、私に抗不安薬が処方されたことは理解しているものの、早く回復してほしいという願いの裏返しか、私が薬を飲むことに抵抗、というかガッカリというか、苦々しいというか複雑な心境が垣間見れるのです。同時に、私が「今日は調子がいいから薬飲まなくても大丈夫かも」と言うと嬉しそうな表情を見せます。そうなるとますます薬を飲む事への罪悪感、敗北感が強くなっていくという悪循環に陥っていくのでした。



それでも一ヶ月間、言われた通り薬をきちんと飲み続けた結果、おじさん先生の予言(?)どおり不安感はずいぶん解消され、「さてそろそろベトナムに戻って仕事するかな!」ってくらいまで回復したのです。ハッキリ言ってあまり信用してなかったおじさん先生ですが、さすが精神科医、私の状態を私が卒業した高校名を聞いただけで見事診断に成功するという、隠れた名医だったのです。もしかしたら私が作った「心の波チャート」をチラ見したのも私の診断に役立ったのかもしれませんね(ってわけないだろ!)。



そうしてその後、約一ヶ月半くらい日本で休養し、ベトナムに戻る準備も着々と整ったのですが、なんとそんな中起きたのが3・11「東北大震災」だったのです。ずいぶん落ち着いた気分も、あの大災害と原発の恐怖で、また一気に不安感が増し、また元のうつ的な状態に戻ってしまうんじゃないかと私はずいぶんと怖くなりました。でもあの頃は、きっと日本中の人達が同じような気持ちになっていたはずです。だってうちの近所の人も、温泉場で話したおじさんたちも、電気を落としたスーパーの店員さんたちも、みんな暗い不安そうな表情でしたから。しかし予定通り私はベトナムに戻る事にし、そのあと無事、残り一年の任期を全うする事が出来たのです。でも、ベトナムに帰ってから半年あまり、原因不明の緊張性頭痛に悩まされ、本当の意味での完全復活はカナダに帰ってきた時でしたが・・・(恐らく、↑のストレスの数々の所為だったのでしょう)。



さてこの一連の事件(?)で、私は身をもって不安障害やうつ病を患っている人の気持ち、それ以上に患者さんの気持ちを知ることが出来ました。今まで自分がソーシャルワーカーとして助ける立場にいた時に思っていた・考えていた「患者さんの苦しみ」と、自分が患者として体験した苦しみは、かなり違ったものだという事が分かり、さらに、自分自身が病気に対してもつ偏見にも改めて気が付くことも出来ました。そう考えると、この恐ろしい体験も意味があったのかもね、とポジティブに思うことが出来ます。でもあの泥沼にズブズブと沈むような感覚は二度と味わいたくありません。



・・・という訳で、こんな昔話が出たのも、そもそも私の右肩甲骨痛が再発したからなのでした。そして、まだ痛みが引かないんです(涙)。今日で5日目・・・いつになったら治るのか?もしかしたら治らないんじゃないか?慢性痛になったらどうしよう?・・・なんで考えたらダメなんです!これではまた悪夢が再来してしまいます。とりあえず今は出来る事をするしかありません。1)マッサージに行く、2)ストレッチをする、3)運動をする、そして4)(藪じゃない)医者に診てもらう(ココすごい大切!)。そしてもっと大切な事は、自分の意識を右肩甲骨に集中させないこと。でもこれが、すごく難しいんですよ~!医療ソーシャルワーカーしている時は、こんな患者さんにはマインドフルネスしろ!とか言ってるくせに、自分がそうなった時は思いっきり強迫観念に取付かれてしまいます(っていうか進んで強迫観念に取付かれに行っている・・・)。そんなこんなで、まだまだ人としてもソーシャルワーカーとしても成長出来ていない私なんですが、でも、今回この過去の悪夢について書いた事で、少しだけ自分の悪いクセが分かって落ち着きました。とにかく頑張って、右肩甲骨以外のことに集中してみます・・・笑 おわり


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