久々の登場 2019年度版

新年あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いします。


・・・ってすでに2月でしたね(笑)。このブログを最後にアップデートしてからもう数ヶ月も経ってしまったなんて。恐るべし時の流れ・・・


さて私の方と言えば、とくに変わりなく忙しいんだか暇なんだか分からない感じで引き続きカナダはC病院の腎臓透析科で医療ソーシャルワーカーをしております。難しい患者さんが現れたかと思えばおとなしくなり、おとなしくなったかと思えば問題を引き起こしたりと、起伏の激しいのがここの透析科ソーシャルワークの特徴で気が休まらないんですが、そんな仕事の合間に長期旅行に行ってみたり、ちょこっと週末旅行に行ってみたり、気分転換のジムに行ってみたりサボってみたり、友達と飯に行ったり、とストレスマネージメントもしつつ毎日を送っていたら、なんという事でしょう!もう2019年の2月ではないですか!昔から三日坊主だと親に叱られ続けただけあって、ブログもすっかり疎かになってしまいました。それでも時々「海外でのソーシャルワークに興味があるんですが?」というお問い合わせのメールが届いたりして、カナダでソーシャルワーカーとして働く私としては、海外のソーシャルワークに興味を持ってくれる人が日本にも結構いるんだな~と思うと嬉しくなります。さてそんな中、先日私、母校から講演会の依頼を受けて、日本人留学生の若い学生諸君を相手に生意気にも自分の人生をエラそうに語って来ちゃいましたよ(笑)。


私がカナダに最初に来たのは1998年の夏でした。日本の大学からの1年間の交換留学でバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学、通称UBCと呼ばれる大学で学びました。私の他にも大量の留学生が私の大学から派遣されて来て、皆おなじ寮で生活しました。「英語力を伸ばすぞ~」と鼻息荒く意気込んでいた当時の私はすぐに気が付いたのです。日本からの留学生とおなじ寮に住んでいたのでは英語力なんぞ上がらないと。誘惑に弱い私は油断するとすぐ日本語で友人と話してしまいます。これではいかん!と思い、私は1人日本人と離れて暮らす事に決めたのでした。さっそくダウンタウンにアパートを借りると、大学の友人にも職員にも誰にも言わずに勝手に引っ越しました。日本人留学生達が寮から徒歩5分の教室に通う中、私はダウンタウンから1時間もかけて教室に通う日々。なんだかそれも段々めんどくさくなってきて、ついに学校に通うのもやめたのでした。その代わりに、近所の老人介護施設でボランティア活動をしたり、カルチャーセンターに通ったり、スポーツクラブに加入したり、と出来るだけ現地の人と交流する機会を作って英語力向上に励んだのです。そんな努力の甲斐あってか、自分でもビックリするくらい英語力がグングン伸びるのを実感し「うむうむ、上出来上出来」と満足と充実の日々を送っていたのでした。


そのころ日本人留学生の間では「しんぺーはどうやらダウンタウンに潜んでいるらしい」と噂話が流れていたのですが、日本の大学から派遣されてきた職員にはバレずに済んでいたのでした。そんな留学生活も終わりにさしかかり、とうとう明後日には帰国という日・・・ついに私が大学寮を出てダウンタウンに潜んでいる事が大学職員にバレてしまったのです(一体だれだ!密告した者は!?怒)。「でもまぁいいか。別に悪い事してないもんね~」と飄々としていた私だったのですが、日本の管理主義はそんなに甘くはなかったのです。


さっそく日本から派遣された留学担当者に呼び出しを食らい、職員室に通されると「なんで誰にも言わずに勝手にダウンタウンに住んでいるんだ?とりあえず反省文30ページ書いて出しなさい!」といきなり怒られてしまったのです。反省文・・・自慢じゃないですが、私この時まで反省文なんて言葉とは無縁に生きてきた「良い子」だったのです。だいたい30ページも一体何を書いたらいいのでしょうか?とりあえず仕方がないので「英語力を伸ばしたいという焦りのため勝手に寮を出てしまい皆様に多大なるご迷惑をおかけした事をここに心より深く反省いたしますです」と言った内容をくどくどと400字詰め原稿用紙30枚に書いて提出したのでした。これを英語ではなく日本語で提出させるところもさすが日本の大学です。そうしてこっぴどく怒られて帰国したのですが、反省文で一件落着かと思ったらとんでもない!帰国時に私を待っていたのは「教授会」という名の裁判だったのです。


なんと私の「ダウンタウン独り暮らし」の件が、文学部(当時中国文学を専攻していた)の教授会にて立件・裁判にかけられる事となってしまったのです。おまけに親からの陳情書の提出も求められ、私の親も反省文を書かされる始末(笑)。さらにダウンタウンのアパートでは、ルームメイトのお爺さんと仲良く住んでいたのですが、教授会に提出された罪名には「しんぺーは勝手に大学寮から飛び出し、ダウンタウンのアパートでお爺さんと同棲し、現地職員に多大なる迷惑をかけた」と記されているではないですか。恐るべし教授会。いつの間にかお爺さんと同棲している事にもなっていて傍目にも大ピンチの私。教授会(裁判)の結果下された判決は・・・無罪(でも限りなく執行猶予付き有罪に近い)。担当教授からは「お前もう少しで退学処分になるところだったんだぞ。感謝しろよ!」と言われ、恩に着せられる始末。ま~こんな大事になるなんてね~、本当ビックリでしたよ。でも確かに考えてみれば日本の大学職員にも留学生を無事帰国させるという多大なる責務があり、もし万が一事故でも起きたらそれこそ一大事です。そういう大人社会のリスク管理を考えたら、私のようなはみ出し生徒に厳しくなるのも仕方ないよね~と、40歳を過ぎて少しは大人になった私にも理解できるようになりました(でも教授会はやりすぎじゃね?)。


そんな問題留学生だった私がまさか母校の留学生たちにスピーチをしてくれと頼まれるようになるなんて・・・感激です!さらに私を感激させたのは「ぜひカナダで活躍されていらっしゃるシンペーさんに後輩達を刺激して欲しい!」という褒め言葉。問題児だった私が、いつの間にかカナダで活躍する母校の先輩へと大変身を遂げていたのです!!!!!!!なんてつい浮かれてしまったのですが、病院雑用係りのソーシャルワーカーの身としては、今ひとつ「活躍」という言葉の響きには慣れません。でも嬉しいですよね、そんな風に言われると(めったに言われないし 涙)。


さてスピーチ当日、7名の学生さん達が参加してくださいました。私が交換留学し、そのあとUBCに編入し、ソーシャルワークを勉強し、現地NPOに勤務した後UBCの院でまたソーシャルワークを学び、その後ベトナムで国際貢献の仕事に。そしてカナダに戻ってからは日系カナダ人向けの心理カウンセリングを開業し、現在は病院で医療ソーシャルワーカーになる!って言う見た目だけはそこそこ(?)の経歴を基に、ソーシャルワーカーってどんな仕事だ?っていう事を話してきました。人権問題や国際貢献などに興味や教養のある学生さんばかりで、おまけに英語も抜群に上手くて、英語で頼まれたスピーチだったのですが逆に緊張して自分の英語のほうが下手なくらいで「どっちが学生だよ?」って言われるんじゃないかと思ったらもっと緊張してボロボロでした(涙)。でもみんな真剣に聞き入ってくれて、人生を語るのが大好きなおじさんにはたまらない絶好の機会で楽しかったです(笑)。だいだいソーシャルワーカーとかやってると、人の話ばかり聞いていて自分の話する機会なんてないもんね。ま~私の話が学生さん達のお役に立ったのかどうかは定かではないですが、私自身、自分がカナダで歩んできた半生を顧みることが出来たことはすごく良かったです。他者に自分の話をするのって、自分を知る上で有益かも、と改めて思いました。と言うのも、自分の人生を振り返って「じゃ~次はどうしようか?」と将来を考える機会にもなったからです。学生さんからも「やりたい仕事と給料とのバランスをどうやって取ったらいいんでしょう?」なんていうズバリ本質をついた質問も出て、それって今の私の悩みですよ!って思わず言いそうになりました(っていうか言ってしまいました 笑)。私は昔からNPOでの仕事のような地域密着型でクリエイティブに出来るソーシャルワークが好きなのですが、でもNPOでの仕事は不安定で給料も今ひとつ。それに比べて病院ソーシャルワーカーの待遇は桁違いによく、年金も素晴らしい(カナダ限定)!けれど病院での仕事は、クリエイティブな部分よりもお役所的なシガラミの方が強く、木ばかり見て森を見ないような仕事内容なので私的には今ひとつなんです。この好きな仕事VS生活の質の問題はむずかしいですよね。


病院で医療ソーシャルワーカーを6年以上やっているのですが、そろそろ私、ちょっとこの仕事に飽きてきました・・・というか燃え尽き始めてきたんじゃないかと思うのです。患者さんとの相談にも問題なく対処でき(昔と比べると)、チームにも馴染み、仕事もこれ以上ないくらい円滑に進んでいるのですが、心の満足感がどんどんと薄れて「あ~あ」と溜息つきながら淡々と仕事をすることが多くなりました。これはいかん!


そう思った私は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


一年間の無給休暇を申請しました!


そして・・・先日、認められました。


そして・・・・私、日本で一年間働く事に決めました!(まだ仕事決まってないけどね)


つづく

カナダでソーシャルワーカー Social Work in Canada

カナダでソーシャルワークをしてみませんか?

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