MAiD 安楽死幇助の合法化と医療ソーシャルワーカーの役割
カナダでは2016年6月17日に、安楽死幇助が合法となりました。これはMedical Assistance in Dying通称MAiDと呼ばれます。2017年このMAiDによって安楽死を遂げた患者さんの数はカナダ全土で2000名以上に上りました。また2018年は2017年度と比べ安楽死を選択した患者さんの数が30%以上増加したとの報告があり、安楽死という選択がカナダの医療現場において身近な選択肢となりつつあるのを感じます。私の働くC病院でも、急性期病棟担当のソーシャルワーカー達からMAiDに関わったという話をよく聞くようになり、医療ソーシャルワーカーも安楽死と関わる機会が増えています。私は今のところ患者さんの安楽死に関わった事はありません。それは私が勤めている場所が腎臓透析科だからです。というのも、私の担当する腎臓病の患者さん達は全員、週三回の透析治療によって命をつないでいます。つまり腎臓患者さんは透析治療を受けなければ死んでしまうのです。そのため透析患者さんの中で安楽死を希望する患者さんは、過去、全員透析治療を止めるという形で亡くなられていきました。しかしこれは厳密には安楽死幇助とは言いません。なぜなら患者さん達は透析治療を止めた結果、腎不全という自然死という状態で亡くなられたからです。ではここでいうMAiD安楽死幇助とはどういうことなのか?それは医師もしくはナースプラクティショナー(大学院教育を受けた上級看護師)から患者さんへの薬物投与(点滴もしくは経口)によって患者さんを死なせること。つまり自然死とはされない死を患者さんに提供することなのです。じゃー誰でも死にたい人は安楽死幇助が受けれるのか?と聞かれれば、その答えはNO。安楽死を希望する患者さんには満たさなければいけない厳しい条件があるのです。という訳で、今回は未だ医療現場でも賛否両論あるこのMAiDについてお話したいと思います。
MAiD安楽死幇助を受けるための条件
1. カナダの公的医療サービスを受ける資格があること
2. 18歳以上で物事を決める能力があること
3. 医学的治療が困難な病気を患っていて死が予期できる状態であること
4. 自発的に安楽死幇助を希望していること
と、安楽死幇助の条件を簡単に4つにまとめてみたのですが、しかしグレーゾーンも多く存在しています。とくに(3)の条件。そもそもどんな病状がこの(3)の条件に当てはまるのか?過去MAiDを受けた患者さんの6割以上は末期がん患者さんでした。その他にはALSのような脳神経疾患や呼吸器系疾患などを患った患者さんでした。MAiDの(3)の条件をめぐって論争になるのは特に線維筋痛症のような慢性痛疾患や重度の精神疾患を患う患者さんのケースです。いずれの場合も医学的治療に限界があり、日々の生活に支障をきたすほどの辛い症状に悩まされ、QOL(生活の質)も極端に低いため、安楽死を希望する患者さんも少なくありません。しかし慢性痛の患者さんが突き当たる安楽死への壁は「死が予期できる状態である」条件。この条件により多くの慢性痛患者さんの安楽死への申請が却下されています。というのも慢性痛疾患の多くは原因不明な事が多く、またそれ自体が死に至らしめる病状ではないものが多いからです。同じように重度の精神疾患に苦しむ患者さんも(2)の「物事を決める能力がある」と(3)「死が予期できる状態」という条件が当てはまらない事によって、安楽死の申請が却下されるケースがほとんどです。ただ私が思うには、慢性痛を患う患者さんも、重度の精神疾患を患う患者さんも、実際は死にとても近いところにいるという事・・・それは彼ら彼女らの多くが自殺を考え、そして実行してしまうケースがあることから分かります。少なくともペインクリニックや精神病棟で働いた経験から私はそう実感しました。そんな訳で、慢性痛や重度の精神疾患に苦しむ患者さん達が今も裁判で安楽死への権利を得るために戦っています。
さて、それでは安楽死の申請が認められた患者さんは、どのような過程を踏んで亡くなられていくのでしょうか?
安楽死申請から実施までのプロセス
• 患者さん本人が申請用紙にサインをして、それぞれの保険局に設置されているMAiD Care Coordination Centre通称 MCCCと呼ばれる安楽死専門部署に提出する
• 第一回目のアセスメントを受ける(通常はかかりつけの医師もしくはナースプラクティショナー)
• 第二回目のアセスメントを受ける(一回目のアセスメントを行った医師・ナースプラクティショナーとは別の医師・ナースプラクティショナーによる審査で、通常はMAiDに精通した専門家が行う)
• 最低10日間の考える時間を患者さんに与える(10日間は安楽死は施行されない)
• 安楽死の施行(点滴もしくは経口での薬物投与が医師・ナースプラクティショナーによって施される)
と、このような流れで一度申請を行うと割合早いスピードでアセスメント、そして施行が行われます。安楽死は基本どこでも行う事ができます。大抵の患者さんは家、もしくは入院先の病院、介護施設、ホスピスなどで安楽死幇助を受けます。ただここにも問題があって、特定の介護施設やホスピスでは安楽死を受けられないこともあるのです。それはなぜなのか?そこには人の倫理や価値観というものが関わってくるからです。
MAiD安楽死幇助への抵抗
安楽死幇助に関しては医療現場でも賛否両論あり、未だにもめている現場もあります。例えばうちの保険局管下のDホスピスは安楽死幇助を拒否しています。ただ公的に運営されている一ホスピス施設が保険局の政策、しいては国が施行した法律に反して安楽死幇助を拒否できるのか?という点が議論されています。Dホスピス側は「MAiDは自然死を尊重するホスピス緩和ケアの精神に反する」と主張しています。実際、ホスピス関係者の多くはMAiDにもともと乗り気ではなかったようです。私が思うには、MAiDが施行されたことにより、ホスピス自体の意義が問われかねない、と懸念しているからではないでしょうか?まー極端な例、皆が安楽死幇助を選ぶようになったらホスピスケアが要らなくなってしまいますもんね。でもそんな事は多分起こらないでしょう。なぜなら死には私達の生死観、倫理、信念などと言う人間社会がもつ複雑な価値観が絡み合っているからです。
カナダのMAiD安楽死幇助法では、医療関係者にMAiD安楽死幇助と関わらない権利・自由も認めています。例えば、安楽死幇助をしたくない医師・ナースプラクティショナーは、自分の患者がそれを希望しても、安楽死を幇助しなくても良いのです。でもその代わり、安楽死を希望する患者さんを安楽死幇助をやってくれる医師・ナースプラクティショナーもしくはMCCC (安楽死専門部署)へと紹介しなければいけません。
昔から安楽死賛成派の私としては、痛みで苦しむ末期の患者さん達を目の当たりに働いている医療スタッフが安楽死幇助になぜ消極的・否定的になるのか不思議に思うのですが、どうやらそこには個人・団体の宗教観が大きく影響しているようです。私のカナダの印象って、思ったより宗教的でないな~、という感じなんですが、実際私の周りの人でも深く宗教を信仰している人ってそれほどいません。もしかしたら信仰があるのかもしれないのですが、それを表に出す人はカナダにはあまり多くない気がします。ま~隣国アメリカと比較してしまう所為もあるんでしょうが・・・そんな訳なので、宗教的理由で安楽死幇助を拒否する医療スタッフや介護施設・ホスピスなんかが一定数存在する事に私は正直驚きました。でも確かに、MAiD安楽死幇助法の施行によって、個人の価値観と政策の狭間で倫理的葛藤に悩まされる医療職員が出てしまう事は当然の事と言えるでしょう。そういう意味で、安楽死幇助に関わらない権利と自由を保障する事も必要となるのは理解できます。ただ公的施設で安楽死幇助を拒否するのはどうなんだろう?と個人的には疑問に思います。だってみんなの税金で運用されているわけだし、国政は民意の反映だと言う前提に立てば(必ずしも現実は違うけど・・・)特定の宗教観を一般利用者に押し付けるのはどうなんだ?と思うのです。それでもまだ宗教的価値観を理由にMAiD安楽死幇助を拒否する介護施設・ホスピスは今も存在するので、そのような施設にいて安楽死を希望する患者さんは、まずは他の施設に移ってからMAiDの申請をする、という手間のかかる過程を経ないといけないのです。
ソーシャルワーカーの役割
MAiD安楽死幇助のケースは患者さんの死が直接的に突きつけられる状況なので、ソーシャルワーカーによる患者さんやそのご家族への心のケアは必要不可欠となります。しかしMAiD安楽死幇助法においては、ソーシャルワーカーが気をつけなればいけない絶対事項があるのです。それは、「医師もしくはナースプラクティショナー以外の者が患者にMAiD安楽死幇助を選択肢として与えることは禁止ずる!」という決まりです。つまりソーシャルワーカーは積極的にMAiDの情報を患者さんに与えることは出来ないのです。つまり「患者さん本人がMAiDの情報提供をソーシャルワーカーに要求」しない限り、ソーシャルワーカーからMAiDの情報を患者さんに与えて、話し合うことは出来ないのです。そしてこの場合、患者さんの口から「MAiD」の言葉が出てこない限り安楽死幇助について話し合うことは出来ないのです。例えば患者さんが「もう治療もしんどいから死にたい」と言われて、ソーシャルワーカーが「それならMAiDという選択肢がありますよ」と答えるのはNG!違法行為です。あくまでも患者さんが「もう治療もしんどいからMAiDについて考えたんだけど、どうすればいいの?」という言葉を聞かないと手助けは出来ないのです。さらに、ここでソーシャルワーカーが「でも患者さんの病状は末期じゃないからMAiDの適用外かもしれませんよ」と言うのもNG!違法行為です。MAiDの適用可否はあくまでも医師・ナースプラクティショナーのみが患者さんと話すことが許されていて、それ以外の者がMAiDの適用可否およびアセスメントに関わる事は厳禁とされているのです。これは他者が患者さんの持つ安楽死への考えに極力影響を及ぼさないようにするためだと思われます。だって医師・ナースプラクティショナー以外の者が患者さんに積極的に安楽死の提案をしたら、それは法的に「自殺幇助」と見なされて罰せられてしまうからです。また逆にソーシャルワーカーが患者さんに「安楽死なんて考えちゃだめですよ!まだまだ生きなくちゃ!」などとソーシャルワーカー個人の価値観を押し付ける事も保険局の規則で禁止されています。これはクライアントの価値観の尊重に基づいたソーシャルワーク倫理にも反するから、ソーシャルワークを学んだ人なら多分やらないと思うけど・・・。とにかく、安楽死に関しては「100%患者さん本人の決断と価値観に基づいて決めてもらう」という倫理が強く法規則に反映されている事が分かります。
それでは実際患者さんのMAiD申請が認められ、安楽死幇助が行われる場合のソーシャルワーカーの役割ですが、それは・・・
• 患者さんへのMAiDの説明(MAiDって何?って聞かれた場合のみ)
• 患者さんとMAiDチームとの連携援助
• 患者さんとその家族への心のケア
• 旅立ちの準備のお手伝い(例:財産分与や葬儀の情報提供)
• 猶予期間中(10日間)の患者さんとの意思確認
• 安楽死実施後のご家族への心のケア
と、こんな感じになると思います。別段、安楽死のケースだからと言ってソーシャルワーカーの関わりが他の末期患者さんとの仕事と大きく変わるとは思わないのですが、ただ自然死ではなく予定通りに死が訪れると言う点で、とくにご家族の心理的負担が大きいことが想像できます。ですので、ご家族に対する心のケアの重要性は一段と高いのではないでしょうか。
いずれにしてもMAiD安楽死幇助法が施行されてまだ3年も経っていないので、現場ではまだまだ手探りで模索している感じです。ですから今後もっと明確に安楽死に対するソーシャルワーカーの役割が示されるでしょう。もっともっとソーシャルワーカーが関われる分野ですから。さて日本もこれから安楽死についての議論が深まるんでしょうか。日本の一般的な宗教観なら、安楽死、多くの人に受け入れられそうな気が私はするんですけどね~。もっともっと議論して欲しいものです。このように様々な価値観や倫理観が入り乱れる安楽死問題。腎臓透析科で死が遠くない世界で働く私にも大変興味のある分野です・・・時に悲しくもなるけど。今回このブログ記事を書きながら、私自身学ぶとこがあったので、もっとMAiDについて調べてみようと思います。なにかご質問などありましたらお気軽にどうぞ!
おわり
0コメント