ACP 日本での取り組み&ソーシャルワーカーの危機!?

アドバンス・ケア・プラニング(通称ACP)、過去にこのブログで紹介した事もあったのですが、要約すると「患者さんが事前にどんな治療を受けたいか、受けたくないかを考える&話し合うプロセス」とでも言いましょうか。ACPは医療現場において、患者さんに意思表示できる場と患者さんと医療従事者が相互理解する機会を与えてくれるので、患者さん自身の希望・価値観に基づいた治療計画を作り、患者さんが納得・満足できる治療を施すことを可能にしてくれます。つまり ACPとは「患者さんの権利」を限りなく尊重するためのものであると言えます。さらにACPは、患者さんの権利・意思・価値観を尊重する治療を行うこと事で、医療従事者が従来抱えがちだった倫理的ジレンマをも解放してくれる効果もあるのです。


そんな訳で、このACP、カナダでは10年くらい前から積極的に取り入れられています。またカナダの医療現場ではACPは医療ソーシャルワーカーの職域として広く認知されてます。これってすごく重要です。というのも、普段は「雑用係」と見られがちな医療ソーシャルワーカーが真の実力を発揮できるのがこのACPだからです。どういう事かって?それは私の過去記事を読んでください!って言ってしまうと身も蓋もないので(笑)、ご説明いたしましょう〜。


私たちが病気になった時って、まずはお医者さんに治療方法について聞きますよね。簡単に治療出来るものもあれば、治療方法がいくつもあるもの、または治療法が確立されてないものなど状況によって様々です。かつての医療現場では、医者が「OOさんの症状にはこの治療方法が有効なので、これでいきましょう」ってな感じで、治療のエキスパートである医師に主な決定はお任せして患者さんは治療を受けてきました。ただ病気自体が治っても、治療の結果、副作用が出たり、障害が残ったりして、生活の質が下がってしまった、自分の思うような生き方が出来なくなってしまった、生きるのが困難になってしまった、なんて事も起きてしまうことがあります。そうなると、せっかく病気は治っても、嬉しいどころか、かえって辛くなってしまった、なんて事にもなり、こんな事だったら治療をするんじゃなかった・・・なんて後悔してしまう事もあるでしょう。また状況によっては、意識障害などにより自分が治療方法の決定プロセスに積極参加できず、その結果、医師や家族の判断により自分では好まない治療を施されてしまった・・・なんて事も起こりえます。そうなると、医療現場では「成功した」治療も、患者さんにとっては「大失敗だった」という困ったギャップが生まれることになるのです。

このギャップを埋めるべくACPがあるのですが、そもそもこのギャップはどこから来るのか?

医療現場の倫理は基本「病気を治す事」にあります。そのために、医療スタッフは患者さんの病気を治すのに一番有効な治療方法を探ります。そして治療方法がない、予後が良くない場合には今度は患者さんを出来る限り長く「生かす事」が重要な倫理となります。そのため、患者さんには辛い思いさせてでも、治療を受けてもらい、病気を治して欲しい、延命して欲しいと医療従事者は願うのです。しかし患者さんの価値観が必ずしも医療従事者のそれと合致する訳ではありません。例えば、私が不治の病で、余命3ヶ月だったとしましょう。もし医師に「1つだけ治療法があります。副作用は食欲低下、意識障害、吐気、頭痛、めまいなどで、隔離治療となります。成功率は10%ですがぜひ試して見ましょう!」と治療を勧められた時、私はどうするか?どうせ余命は3ヶ月なんだから、出来る治療は全てやってみよう!と、思うか、それとも、あと3ヶ月しか残されてないのに、10%の確率のために食べる楽しみも、外に出る自由も、大切な人と過ごす時間も犠牲にするのか?と思うのか・・・
今の私だったら、そんな治療は受けないでしょう。
これはどっちが良いとか悪いとかではなく、生死に関する私の宗教観だったり、生活の質の優先順位だったり、苦しみへの恐怖の度合いだったりと、私自身の価値観が多いに反映されているだけのことなのですが、皆それぞれ価値観は違うので、提示された治療に対する回答も千差万別のはずです。


そんな訳で、ACPとは、ただ単に治療方法についてのプランを患者さんと立てるプロセスではなく、もっともっと深いところまで掘り下げる作業、つまり患者さん個々の価値観、生死間、人生観、宗教観を深く理解し、それに基づいて治療法を話し合うという極めて人間的・哲学的な過程を踏まないといけないものなのです。こんな風に言うと、なんだかとっても難しい話のように感じますが、実際は極めて身近な事でもあります。例えば、「私は旅行に行くことが趣味なので、旅行に行けない体になるのなら、治療は受けたくありません!」という患者さんがいたとしましょう。医療従事者としては「命より趣味の旅行が大事なの!?」と思ってしまうかもしれないのですが、この患者さんにとっては「旅行」=「自由」という価値観につながっているのかもしれません。誰しも自由を失った状態では生きていけません・・・というか生きている感情が湧きませんよね。そう考えれば、患者さんにとって旅行はただの趣味ではなく、それは自由の象徴であり、さらに深く掘り下げれば、旅行に何かもっと大きな思い入れ(例えば家族との思い出、絆、愛情とか、人との触れ合いとか、将来への希望とか)があるのかもしれません。そうやってどんどんと患者さんの思いを掘り下げていくと、なぜ患者さんが旅行に行けなくなる状態を嫌がるのかが分かってきます。またそれが分かれば、治療法を変えたり、または旅行以外で自由を感じられる「何か?」を一緒に見つけることによって、もしかしたら治療を受けるという選択もあり得るかもしれません。いずれにしても、このようにACPとはその人を深く知るという過程を抜きには出来ないものなのです。


・・・とま〜なぜ私が長々〜とこんな話をしたかって?はい、皆様にはお分かりですね。医療従事者の中で「人間」「価値観・倫理観」そして「会話」のプロと言えば誰でしょう?
え?誰ですか!?精神科医!なんて言ってる人???全然違うだろ〜(ゴメンなさい精神科医)
正解は医療ソーシャルワーカーでした(笑)。
そうなんです!こういうお話を患者さんと上手に出来るのはソーシャルワーカーなんです。だって我々はまさにそれを学び、トレーニングを受けてきたんですから(強調)。
ところが・・・私は今ここ日本で大いなる危機感を覚えています。
事の発端(?)は昨年10月のこと。私のカナダの同僚が、神戸大学緩和ケアのK先生と知り合いで、私が日本に行くということで紹介してもらったのですが、そのK先生が主体となって「アドバンス・ケア・プラニング」の講演・講習会を開く事となり、私も参加者として呼んでもらえる事になったのです。ACPや安楽死問題に興味のある私には、日本での緩和ケアやACPの取り組みを学ぶ絶好の機会!ワクワクしながら遥々神戸まで出向いたのでした。


講演・講習会は思った以上にインタラクティブで、理論や先生方の経験談のみならず、隣の参加者とロールプレイをしながらACPの実践を練習したりして、すごく効果的にACPを学ぶことが出来ました。またK先生ほか講演者の方々とも個人的にお話を聞かせて頂き、日本でもACPが少しずつ認識&実践され始めている事を知りました。日本でも従来の医師中心医療主義から患者さん中心の医療へと少しずつ意識が移り始めているのは大変良いことだと思うので、私は安心したのですが、しかし、このACP講演・講習の参加者を見て、私は大変心配にもなったのです。

なぜか?

それは・・・参加者が看護師ばっかりだったから!!!!!!
もちろん中には医療ソーシャルワーカーもチラホラいたのですが、しかし大多数は看護師。
講演会の内容からも、ACPは看護師の職域になりつつあるのを感じました。
これは医療ソーシャルワーカーにとっては一大事です。

私は看護師さんの能力にケチをつける気は毛頭ないのですが(本当か?)、しかしACPに関してはやはり医療ソーシャルワーカーの方が適任なのではないかと思うのです。まず第一に、看護師の仕事は基本、時間とタスクとの闘いです。チェックリストが山積みの中、患者さんの人生論をじっくり聞いている暇はなかなか無いはず。かと言ってACPが問診票のようにマルバツ式のチェックリストになってしまうのも困りものです。第二に、医療ソーシャルワーカーは業務の中で自然と患者さんの生活履歴(すなわち価値観)に触れる機会が多いので、ACPの会話もスムーズにそして他業務と同時並行して行う事ができます。そして第三に、ソーシャルワーカーは医療従事者の中でも限りなく「一般人」(?)に近いので、難しい医療用語を抜きにして分かりやすく治療プランについてのお話ができます(医師を挟んで)。以上のことから、このACPだけは絶対に看護師には譲れません!(って私は誰に怒ってるんだ!?)


そもそも、医療ソーシャルワーカーにとって看護師とはLove and Hateの関係です。味方でもあり敵でもある関係・・・(ってのは言い過ぎか?)
医療ソーシャルワーカーの仕事において、患者さんの問題解決のために看護師との連携は必要不可欠です(恐らく看護師にとっても)。看護師の専門性と医療ソーシャルワーカーの専門性がうまく合致した時ほど素晴らしい結果が生み出される事はありません。例えば、私の担当の患者さんが薬物依存施設への入居希望した時、私の仕事は申込書の作成業務や、施設との連携、患者さんとの打ち合わせなどが主体となるのですが、同時に、患者さんが日々必要な薬についてや、持病の管理、また健康状態も施設に報告しなければいけません。こんな時には私よりも看護師の方が知識があるので適任です。そうして担当看護師と協力して患者さんを無事施設へと移せた時、私は素晴らしい達成感を感じます。それはお互いの専門性を生かして、無理することなく効率的に仕事が出来たからです。また看護師との信頼感&チームとしての一体感が生まれるのも堪らなく気持ちが良いのです。


しかし近年、これは看護師の野望なのか、それとも医療ソーシャルワーカーのアピール不足のせいなのか解りかねるのですが、かつては医療ソーシャルワーカーの職域だった分野に看護師がどんどん進出してくるようになりました(カナダでも)。例えば退院手続き。かつてカナダの病院では退院手続きは医療ソーシャルワーカーの絶対的職域でした。しかし、私が勤める病院では退院促進チームなる看護師主体のチームが結成され、彼ら彼女らが退院手続きの主体者となってしまったのでした。ま〜これは医療ソーシャルワーカーが患者さんの権利を主張するあまり退院手続きが病院側の思うようにパッパと進まない事に剛を煮やした経営側の判断だろうけど(たしかに退院促進チームのおかげで患者さんの病院滞在日数は減ったけど、その代わりに無理な退院が祟って再入院件数が増えたから結局効率が良くなった訳ではないんだけどね・・・)。
これは日本でも同じ状況になりつつあると社会福祉学科の先生方からも聞いています。その上、日本でも広がりつつあるACPまで看護師の職域になってしまったら、一体医療ソーシャルワーカーの存在意義はどうなるの!?!?!?とドラマチックな私には叫びたくなるほどの死活問題です。おまけにカナダでは看護師はカウンセリングやグループワークにも興味を持ち始めたらしく、そうなると医療ソーシャルワーカーは本当に雑用係になってしまうか、良くても各種手当ての申請係ですよ(社会福祉関連の申込書類業務だけは誰も興味がないらしい 笑)。しかし我々医療ソーシャルワーカーの知識、経験、トレーニングを考えれば、やはり絶対に死守しなければいけない職域というものが存在し、ACPはまさにそれなのです!


という感じに、どんどんヒートアップしている今回のブログ記事なのですが、決して看護師さんを悪く言うつもりはないんですよ(信じて)。ただ私には、いつまで経っても医療ソーシャルワーカーの価値、そして可能性が医療業界で認識されない事にフラストレーションを感じているだけなのです。これって我々医療ソーシャルワーカーにとっての永遠のテーマなんでしょうか?(涙)。いやいや、これからも声を大にして私はソーシャルワーカーの価値を叫び続けますよ(ここで 笑)。ご清聴、ありがとうございました・・・?

カナダでソーシャルワーカー Social Work in Canada

カナダでソーシャルワークをしてみませんか?

2コメント

  • 1000 / 1000

  • Shimpei

    2020.06.23 12:42

    @もぐたん日本の事情もまるでカナダと同じですね。いやー本当、ソーシャルワークの仕事って患者さんの心配に留まらず、自分自身の職業の行末まで心配しないといけないので大変です 笑。いつの日か来たるソーシャルワーカー薔薇色の未来を想像しつつ、現実出来ることをやるしかないですねー。
  • もぐたん

    2020.06.22 07:20

    こんにちは。ACP、とっても大切なことですよね。そして、私たちSWが担わせていただく役割も大きいと感じてます。 が・・・日本でも看護師さんの領域が徐々に拡大している傾向にあります。 彼ら(彼女たち)は非常に勉強熱心で、しんペーさんが仰る通り、ACPも然りですが、カウンセリングや認知行動療法等の研修にも看護師さんが大勢参加しています。 心理療法に関しては、実際診療報酬上も研修や実務経験を積んだ看護師が医師の指示のもと実施すれば算定が取れるような仕組みになってきているので、必然という状況です。 ますます肩身が狭くならないように、私たちにしかできないことをもっと広く知ってもらえるよう取り組んでいかないとと思いつつ、自己PRが苦手な私たち…地道にやってくしかないですかね(;^_^A