誰でも相談室な「ソーシャルワーカーの部屋」
毎日多彩なゲストが登場する「徹子の部屋」。これに負けじと「ソーシャルワーカーの部屋」にもたくさんのゲストが来ます。患者さんはもちろんのこと、お掃除のおばさんから、妊婦、赤ちゃん、そして犬に至るまで、さまざまな人が立ち寄る「ソーシャルワーカーの部屋」は、病院内ではオアシス的存在です。さー今日もまた一人、お客様が来たようですよ。
今日の相談者は看護師のKさん。昨年からずっと体調不良に悩まされています。去年の秋は、静脈血栓塞栓症(通称エコノミークラス症候群)でうちの病院に一ヶ月入院。病棟のベット不足のため廊下に寝かされたり、同業の看護師から邪険にされたりするなどの苦行に耐え、どうにか退院。しかし今度は、原因不明の咽頭炎に悩まされ、専門医からつい先日、今後数ヶ月は声を出さないようにと言われてしまったのでした。でも話すことが出来なければKさんは仕事が出来ません。病欠も前回の入院で使ってしまい残っていません。福利厚生の疾病保険を使って長期病欠を取ることもできますが、そうすると収入が下がってしまいます。どうにも行き詰まった状況に本人も弱っています。それよりも、去年から続く不調の数々に精神的にも参ってしまったようです。Kさんは、「ソーシャルワーカーの部屋」で涙ながらにフラストレーションや苦しみを吐露して、少しだけ気持ちを楽にして職場に戻っていったのでした。
↑の例は、プライバシー保護のため脚色していますが、このように職員が「ソーシャルワーカーの部屋」を訪れて、非公式に悩みを聞いてもらうということは良くあります。もう退職されたのですが、元看護師長のDさんはよく「ソーシャルワーカーの部屋」に来て、彼女の発達障害をもつ息子の悩みを打ち明けてくれました。また最近では看護師のLさんが頻繁に「ソーシャルワーカーの部屋」に来ては、薬物依存に苦しむ家族の問題を話してくれたりします。
さてこの「ソーシャルワーカーの部屋」ですが、相談室という訳ではなく、たんなる腎臓ソーシャルワーカーのオフィス、事務所のことなんです。私は現在3人の同僚と病院内の1部屋(オフィス)を共有しています。私と私の血液透析科の同僚、そして腹膜透析科のソーシャルワーカー2人の計4人。さすがに4人で1部屋だとそんなに広くはなく、おまけに窓も無い部屋なので狭く感じます(正直ちょっと息苦しい・・・)。4人同時に電話なんかすると、もう会話がまったく聞こえなくなります。そんな難点はあるものの、何か分からないことがあればすぐに同僚に聞くことが出来るし、難しいケースの相談も4人で考えられるし、またデブリーフィングもしてもらえます。さらに暇なときは噂話などで盛り上がり時間を潰すことも出来るので、私はこの四人部屋、大変気に入っています。
そして、そんな和気あいあいとした雰囲気に呼び寄せられるのか、先ほど挙げた例のように、色々な人が「ソーシャルワーカーの部屋」に癒しを求めにくるのです。上記のようなお悩み相談もあれば、妊娠した喜びを伝えにくる職員。出産して赤ちゃんを見せに来る産休中の職員(わざわざ職場にまでくるなんて・・・)。セラピードックを連れてくるボランティアの人。定年退職したけど暇で遊びに来る人。同僚と喧嘩した怒りを聞いて欲しい医療事務のおばちゃん。長期休暇の旅行先の予定を相談に来る看護師(ってそれくらいは自分で考えて欲しい・・・)。たくさんの人が悲喜こもごもの相談にやってくるのです。
医療現場で働いていると、ついつい「医療ソーシャルワーカーの大切な役割なんて、だれも知らないんだぁー!」とか「医療ソーシャルワーカーなんて雑用要員くらいにしか思われてないんだぁー!」とかイジけてしまうことが(私には多々)あります。しかし目立たないようで、案外みんなから必要とされ、大切にされているんじゃないかと思う時が、この「ソーシャルワーカーの部屋」を積極的に訪れてくれる人達と話をする(というか聞く)時なのです。病院で働く職員は日々むずかしいケースと向き合うなかで疲弊し、ストレスは溜まる一方です。しかし、職員の多くは、心のうちを吐き出す場がありません。例えば、せっかく頑張ってケアした患者さんが亡くなってしまっても、その悲しい思いをぶつける場所はありません。同僚に話したくても、同僚も精神的に“いっぱい”の状態だと、そんな話を聞く余裕も、また聞かせるのも悪いと思ってしまい、悲しい・苦しい思いを胸に秘め、また職場に戻るのです。しかし、人間限界があります。悲しい・苦しい思いは、他者に話さないと解放されないことだってあるのです。
さーそこでソーシャルワーカーの登場です。病院で働く医療職員の中で恐らくソーシャルワーカーほどデブリーフィングのトレーニングを受けていて、自分の話しをするのも、人の話を聞くのも得意な人はいないのではないでしょうか?自分が関わったケースについて語り、そして自分がどう思ってどう感じたかを他者と共有する、このデブリーフィングという作業は、心理的ストレスを避けては通れない医療従事者には必要不可欠なものです。デブリーフィングをしなければ、いつか必ず燃え尽きてしまうでしょう。そういう点からも、なぜ医療職員が「ソーシャルワーカーの部屋」を訪れるのかが分かるはずです!(エッヘン)
しかし本来なら、「ソーシャルワーカーの部屋」を非公式に使って悩みを打ち明けるよりも、病院内で職員専用の「相談室」を作ったほうがいいんじゃないかと、様々な職員の悩みを聞いてきた私たち医療ソーシャルワーカーは思うのです。患者さんが悲しさ・苦しさを打ち明けるのは奨励されるのに、なぜ職員には奨励されないのでしょうか?いつでも、どこでも、常に冷静でいて欲しいという病院側の願望なのでしょうか?でも、職員だって人間なんだから、心のケアは必要ですし、結果的にはそれが「燃え尽き症候群」も予防して、職員のやる気の向上と離職率の低下を図ることが出来ると思うんだけどなぁ・・・
それでも、そんな職員専用相談室が出来るまでは、ぜひとも「ソーシャルワーカーの部屋」を癒しの場として使って欲しいと思うのでした。そしてそんなサポートをするのも医療ソーシャルワーカーの隠れた役割なのです。
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