患者さんをホスピスへ見送る時
先日、私の担当の患者さんがホスピスへと行かれました。
ちょうど私がイギリス&スペイン旅行から戻ってすぐの月曜日、腎臓医のD先生から患者のGさんが腎臓透析を止める事を決意したみたいだから、今すぐGさんと今後についての話をして欲しいと頼まれました。私は非常勤ソーシャルワーカーとして腎臓透析科で働き始めた6年前からGさんの事を知っているので、突然の透析中止の決断に、私は少なからずショックを受けました。ところでD先生に頼まれた「今後の話」とはこの場合、医療ソーシャルワーカーが患者さんと緩和ケアについてお話しすることで、端的に言えばホスピスで死を迎えたいか、それとも在宅で死を迎えたいかを聞くことなのです。また「今後の話」をしながら、透析中止を決断した患者さんの心のケアをすることもソーシャルワーカーの大切な役割です。
さて透析科の待合室ではGさんが一人手持ち無沙汰に座っています。こういう時、まずどうやって最初の声かけをしたらいいのかすごく迷います。そもそもまだ私だってショックで動揺しているのに、うまく緩和ケアや死についてのお話ができるだろうか?そんなふうに思ったらドキドキして手に汗が滲んできます。でもGさんの事は昔から知っているし、いまさら他人行儀に事務的に接するのも変なので、ここは明るく自然に、そして単刀直入に「用件」を持ち出すことにしました。
「Gさん、お久しぶりです。さっきD先生からGさんが透析を止めるって話を聞きましたよ。これからの事について一緒にお話したいと思うんですけどいいですか?」とさりげない風を装って会話を始めました。Gさんは私がビックリするくらい明るい表情で、なんの躊躇いも見せることなく私との会話を始めました。Gさんによれば、数ヶ月前から大腸がんの進行に気が付いていて、そして先週からは便も出なくなり、そのせいで食欲も無くなり、体力もどんどん落ちていくのを実感し、もう透析は止めてもいいかな~と思い至ったそうです。私が「今までに透析をやめようかって何度か考えたこともあるんですか?」と聞くと、Gさんは12年間にも渡る透析生活をしてくる中で、だんだんと体が弱ってくるのを感じ、今まで出来たことが少しずつ出来なくなってきた事、そしてQOL(生活の質)が完全に落ちてしまう前に透析は止めたいと考えていた事などを話してくれました。そしてGさんは大腸がんが進行した今がその時だと決心したのです。
D先生はGさんに大腸がんの治療も薦めたそうですが、Gさんはこれ以上の治療はしたくないと訴え、そしてホスピスへの入居を希望しました。またGさんにはお兄さんと娘が一人いるのですが、Gさんはここ何年間も家族とは連絡をまったく取っておらず、家族には知らせず一人ひっそりと死んでいきたいと話しました。医療ソーシャルワーカーとして、私はGさんに、死後は葬式の手続きや財産分与などのために家族・友人への遺言状が必要となるが、どうしましょう?と聞きました。Gさんは家族とはまったく関わりあいたくないと言い、また友達もいないとの事。そうなるとPublic Gurdian & Trustee (公的管財人)によって荼毘に付されることになるが、それでもいいですか?と私は再び聞きました。Gさんは自分は無宗教だし、死んだ後の事は別に心配してないから荼毘でも埋葬でもなんでもいいよ、と明るく頷いてPublic Gurdian & Trustee のお世話になることに決めました。
こうしてGさんはホスピスへと送られたのですが、Gさんのさっぱりした表情、あーこれでせいせいした!というような感じの、ある種のすがすがしさに、私はちょっとうらやましい気持ちになりました。こんな風に、自分で死期を決め、未練なく逝ける人がこの世にどれだけいるでしょう?私だってこんな風に潔くさっぱりと逝きたいものですが、そんな簡単に出来ることではありません。
面白いことに(って表現は不謹慎だけど)、透析科の患者さんにはGさんのように潔くすがすがしい表情でホスピスへ行かれる方が大半です。おそらく長年の透析治療の中で、自分の生と死について考える時間をたくさん過ごし、自分にとってのQOL(生活の質)とはなんなのか?を追求していった結果、「今だ!」という瞬間、もうここで人生を終えても後悔はしない!という瞬間に出会えたからこそ、恐らく皆さんこのようなすがすがしい表情で旅立つことが出来るのでしょう。
私は常日頃、腎臓ソーシャルワーカーとして、毎週3日も透析に来なければいけない患者さんの身体的、精神的苦痛を目の当たりにする中で、腎臓透析ってなんて大変なんだろうという思いでいっぱいになります。そしてどの患者さんもみんな頑張って透析治療を続けていることに敬意を感じます。もし私が腎臓病患者になったら、私の患者さん達のように頑張れるんだろうか?と自問してしまうこともしょっちゅうあります。でも、そんな私が腎臓病患者さんを心底うらやましいと思う時は、Gさんのように平穏に、すがすがしく自分の死を受け入れることが出来た患者さんをホスピス・在宅緩和ケアへと見送る時なのです。
もちろん、透析患者さん全員がGさんのように平穏に死を受け入れられる訳ではありません。私の担当の患者さんの中には、絶対に死にたくないと泣きながら、でも透析を止めるほか方法がなく、諦めながら亡くなっていかれた患者さんもいました。そんな時は本当に胸が痛くなります。そんな患者さん達の精神的負担を少しでも和らげるのが腎臓ソーシャルワーカーの仕事なのですが、それでも圧倒的に穏やかに亡くなられていく腎臓透析の患者さんが多いことは、私にとって幸いなこと、救いなのかもしれません。Gさんが安らかに最期の時をホスピスで迎えられることを祈る毎日です。
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