大丈夫だと言う患者さんほど心配になるソーシャルワーカー
腎臓透析科で私が担当する患者さんはおよそ100人。でも実際その中で頻繁に相談業務に乗る患者さんは2~3割くらいでしょうか。つまり半数以上の患者さんとは年に1~2回くらいしかお仕事することがないのです。時間がある時は患者さん達と簡単な会話をして、何か困ったことがないかどうか定期的にアセスメントしようと心がけているものの、ついつい問題を抱えた患者さん優先になってしまい、問題があまりない、いわゆる「優等生」患者さん達のケアが疎かになってしまいがちです。しかしたまに私は思うのです。この「優等生」患者さん達は、本当に困り事がないのか?と。
例えば患者さんのCさん。いつもご夫婦一緒に透析に来ます。彼女は、私にはいつも明るく「こんにちはしんぺーさん」と挨拶してくれて、「お元気ですか?透析は順調ですか?」と聞く私に、「うん、すべて上手くいってるわ、ありがとう」と返してくれます。こんな感じなので、あ~Cさんは大丈夫そうだな、と私は安心し、Cさんにはあまり注意を払わないようになりました。そんなある日、腎臓移植科のソーシャルワーカーから連絡があって、Cさん夫婦の移植適合アセスメントを行った際、Cさんの夫からCさんの物忘れが酷くなっている事と金銭的に困ってる事などを打ち明けられたそうです。それで移植科のソーシャルワーカーは、週三回透析科でCさん達と会う私にCさん夫婦の援助を頼んできたのです。私、正直ビックリしました。だってCさんご夫婦、いつも明るく「元気だよ~」と私に言ってたのに・・・なんで気が付かなかったんだろう?なんで私には話してくれなかったんだろう?というショックと情けなさが入り混じった気持ちになりました。そのあとCさん達に「移植科のソーシャルワーカーがCさん達のこと心配していましたよ。何か私にお手伝いできる事はありませんか?」と聞くと、「うん・・・ちょっとお金のこと相談してもいいかな?」と、自営の商店を経営するのが困難になって借金も膨らんで困っていることを私に打ち明けてくれたのです。私が自己破産や、生活保護、障害保険の申請などの提案をしたところ、Cさん夫妻は「ありがとうしんぺーさん。じゃーあとは子供達と相談してどうするか考えてみるよ」と言って感謝してくれました・・・が、その後はまたいつものように「元気だよ~」と明るく挨拶してくる日々に戻り、「どうですか?この間のお話で質問とかありますか?困ったことありませんか?」と聞いても「大丈夫、大丈夫」とだけ明るく答えるC夫妻なのでした。
・・・・・本当に大丈夫かな・・・・と心配になる私。
最近、新しく担当になった患者さんにBさんという方がいます。彼女は腎臓病の他に、悪性の多発性骨髄腫を患われています。毎週3回の透析治療の他に、週4回癌の化学療法も病院で受けなければならないので心身ともに大変な負担です。そういう点でBさんにはAdjustment Counselling (治療に上手く適応できるためのカウンセリングサポート)が必要なんじゃないかと思って、私は積極的にBさんにアプローチしました。かつて非営利団体(NPO)でボランティアコーディネーターとして働いていたBさんは人当たりもよく、とてもしっかりした人のように見えます。私が「化学療法を受けながら、腎臓透析も始めることになって大変ですね。つらいでしょう?」と聞くと、「そうね、大変だけど、でも上手く乗り切っているから大丈夫よ。心配しないでね」とまるで私を労わるかのように答えてくれるのです。さらに「しんぺーさんもいっぱい見なければいけない患者さんがいるんでしょ?私は大丈夫だから他の患者さんのところに行ってあげて」とまで言ってくれるのです。でもそう言われるとかえって、
・・・・・本当に大丈夫かな・・・・と心配になる私。
このBさん、先週、彼女の多発性骨髄腫が悪性の中でもさらに悪い部類に入るもので、余命は3年以内とドクターに宣告されてしまいました。私も一体どうやって声をかけたらいいんだろう、とこの悲しいニュースを聞いて動揺してしまったのですが、それでもBさんは「大丈夫、きっと大丈夫」と気丈に振舞われていました。でもそんなつらい宣告を受けたばかりなのに大丈夫なはずがありません。「Bさんはとても前向きですね。でもいつも前向きになるのって大変だし、時には気が沈んだり、悲しくなったり、不安になったりする時もあると思うんです。私にはそういうことよくありますから。ですから、そういう気分の時はぜひ私を呼んで、私に話をしてくださいね」と出来るだけBさんを傷つけないように言葉を選んで言いました。するとBさんは涙ぐみながら「結構ショックだったからしばらくは大変だと思うけど、困ったときはしんぺーさん呼ぶわね。ありがとう」と言ってもらえました。
しかし、それからもBさんからお呼びがかかることはなく、それなら!と私からBさんにアプローチする日々が続くのですが、今現在の私とBさんの関係は・・・私が患者さんみたいなんです(涙)。私がBさんに「ご気分どうですか?治療つらいですか?」と聞くと、「うん、なんとか頑張っているわ。それよりあなたはどうなの?仕事大変なの?」と逆に私のことを聞かれてしまい、そうなるとついつい「それが最近結構忙しくて、もうヘトヘトなんですよ。なんかこのままこの仕事やってていいのかな~とか、この仕事向いてないんじゃないかな~とか、将来のことも不安になるんですよ~」なんて愚痴を患者さんに言ってしまうアホな私。さらに「今に集中する事が大切よ。将来への不安はどうすることも出来ないけど、今やれる事は出来るんだから」とBさんから諭されるソーシャルワーカーの私・・・っていうかこれ私が本来Bさんに言わなきゃいけない言葉なのに。「Bさんもそうやって今に集中して治療を乗り越えられてるんですか?」と聞くと「そう。私も将来のこと凄く不安になるけど、でもせっかくの今を不安に押しつぶされて無駄にしたくないから、今出来る楽しい事に集中することにしているの」と自分自身に言い聞かせるように話しました。あ~ちょっとだけソーシャルワーカーとしての手助けできたかな?とBさんの言葉を聞いて思ったのですが、でもなんかあんまりソーシャルワーカーとして役に立ってない気がする・・・どちらかというと患者さんに助けられる事の方が多いかも・・・とくに「優等生」患者さん達からは。
そう考えてみると、私の面倒(?)をみてくれる患者さんが多い事に気が付かされます。いつも私にチョコレートをくれるYさんの娘さん。Yさんも娘さんも私に相談事、今までただの一度もしたことがないのに。ただ「しんぺーさん調子どう?これ食べて元気に働いてね!」と言っては定期的にチョコレートの差し入れをしてくださるのです。日本人の患者さんKさんも「しんぺーさん、あんまり働きすぎたらあかんで~。ほどほどに手え~抜きや~」と私の愚痴を聞いて励ましてくれます。高齢患者さんのSさんなどは「しんぺーさん、早く結婚して子供つくらないとね~」といらぬ(笑)心配までしてくれます。
そんな優しく私に難しい相談を持ってこない患者さんを、私はいつしか「優等生」患者さんと決めつけ、「この人達は丈夫だろう」と勝手に思い込み、彼ら・彼女らの優しさに甘えているんじゃないだろうかと思い始めました。でも本当に皆さん困ったこと、悩んでる事、助けが必要な事がないんだろうか?それともただ私がきちんとアセスメントしてないだけなのか?いや、それ以上に、私のアプローチの仕方に問題があるのではないか?と疑問が次々と沸いて来ます。もしかして私には「助けてあげたくなる」キャラオーラというものでもあるのかもしれませんね・・・なんてお気楽なこと言ってる場合じゃありません。だって私の仕事はソーシャルワーカーで患者さんの援助をすることが使命であって、患者さんから助けられてたんじゃ本末転倒です。でももしかすると、私には「しんぺーさんには迷惑をかけられない」と患者さんに遠慮させてしまう何かがあるのかもしれません。おどおどしたアプローチの仕方か?頼りない雰囲気か?それとも下手糞な英語のせいか?う~む・・・なんなんだ???
でも事実「ごめんね、忙しいのに」とか「迷惑かけて悪いけど・・・」とか「すまないけど・・・」なんて言葉を患者さんから聞くことも多いので、やっぱり私の態度が悪いんじゃないのか!きっと余裕がなくてイライラしているように見えてるんだ!(涙)実際そうだし・・・(汗)。
だいたい、そもそも患者さんに「優等生」も「劣等生」もありません。そんな区分付けを心の中でしている私も酷いものです。きっと日々の業務の中で「あ~またあの患者さんの問題行動について処理しなきゃいけなんだ~」とか、「いつまでたっても患者さんの問題が解決しな~い」とか、「またあの人の苦情を聞くのか~」とかって、相談業務の多い患者さんの事を疎ましく思ってしまうことに私の問題があるのだと思います。そしてそんな患者さんと比較して、相談事が少なく不平不満を言わない患者さんに好意を感じ、でもその結果、そんな患者さんの問題を過小評価してしまっているのです。
しかし心に抱えて言い出せない悩みや不安、怒りや悲しみを、患者さんから上手く聞きだし対処するのがプロのソーシャルワーカーだとすれば、私はまだまだです。そして不平不満を言わない患者さんこそ、実は一番リスクの高い患者さんなのかもしれません。だってすべて自分で背負おうとしているわけですから。そう思えば、なおの事、私はもっと「優等生」患者さんたちに目を配らなければいけないのだと改めて思うのでした。そして「助けられ」キャラから「お助け」キャラへと変貌を遂げなければならないのです!!!
と、今回は自戒を込めて私の日頃の仕事ぶりを反省しました。
おわり
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